涼しい。
今日の東京は涼しいです。
長袖のシャツが
気持ちよく着れちゃう気温。
みなさんのところはいかがかしらん。
朝ごはん日記、
思いの外つづいてますねぇ。。。
「自分を大切にする」
っていうと
どんなことが思い浮かぶでしょうか。
自分をほめる、とか
自分にご褒美、とか
そんな言葉も
定着?してきた、というか
よく聞きますよね。
心理士の視点からいうと、
「自分の感情を丁寧に扱う」
もプラスするといいよ~
と思います。
自分の感情に気づく、とか
無視しない、とか、
は大前提になるのですが
(といっても、それも一山)
感情に気づいているのに
「価値あるもの」
として扱っていないなぁ、と
感じることが多いです。
自分の感情を
価値あるものとして扱う。
いったいどういうことだ。
価値あるものって
まず、無視できないですよね。
例えば・・・
道にお金が落ちていたら・・・
気づきますよね。
素通りしにくい。
なんなら拾いますよね(笑)。
そして、
拾ったら拾ったなりに
「どうしよう」と考えます。
10,000円なら届けるかも、
100円ならもらっとくかも、とか。
ちゃんと ”存在” を認め
それに見合った扱いをしようと
立ち止まります。
立ち止まるというのは、
行動として立ち止まる、もあれば
感情として立ち止まる、もあるでしょう。
そうやって、
自分なりに価値判断をして
それに見合った扱いをしています。
さて。
「自分の感情を丁寧に扱う」
の話に戻りましょう。
自分の中にふっと湧いた
小さな、見逃しそうな感情。
あ、これいいな。
げっ、それは嫌。
え? それひどい。
おぉ。それは嬉しい。
感情はいつもふっと湧いては消え
うつろっていきます。
うつろっていくが故に
丁寧に拾ってあげないと
見逃されて無かったことになりがち。
特に思考が優位になると
感情はないがしろにされやすい。
「え?嫌だな」
と瞬時に感じたのに
「でも、後で困るかも・・・」
「念のため・・・」
などと ”思考” が後から出てきて
感情を説き伏せる。
大人になると
”感情的なのはよろしくない” と
一層、思考が優位になりやすい。
何かを断る場面だと
「なんとなく嫌だから」
では充分な理由にならないような
気がしてしまう、
とかね、、、
思考が邪魔するわけです。
状況によりけりだけれど、
それをね、ちょっとずつ減らして
「嫌だから、って感じたのは
理由として充分」
ってね、
そう思う練習をするんです。
※相手に言うかどうか、はまた別
嫌だ、と感じた。
その感情には価値があるのだから
ちゃんと拾ってあげよう
それに沿った判断をしていこう
と感情の価値を認めていくのです。
わがままとか
子どもっぽいとか
理性的でないとか。。。
そういう批判はこの際、横に置いて
まずは丁寧にかかわる。
これをしばらく優先してみると
「自分を大切にする」
の意味合いが、
またちょっとこれまでとは
違って感じられるように
なるかもしれません。
感情だけでは
社会生活が送りにくくなっちゃうけれど
理性や思考だけでも
同じくらい送りにくくなる。
「自分を大切にする」
って、こんなところからも
始められるんだよな~
なんて思います。
どうぞ楽しい4連休を!
カミヤカオリ