心理カウンセリングが哲学問答にねじ曲がる? | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

 

 

カウンセリングをしていて
ふと思うことがあります。
 
「これは心理カウンセリング
 なのだろうか、
 
 それとも、
 哲学問答なのだろうか」
 
と。
 
 

知的に高い人と
ご一緒しているときに
 
特にこんなふうに
感じることがあります。
 
 

感情的なわだかまりを
さまざまに表現しながら
解消していくわけですが、
 
こと大人の場合
どうしても言葉に頼りがちです。
 
そして、頭のいい人は
語彙も豊かで
 
なぜなぜと
深く考えることも得意です。
 
 
 
ですが、
『考える』という行為は
 
『感じる』から
遠のくのですよね。
 
自分が感じていることを
表現するはずが、
 
だんだんと
一般論を考える、に
ねじ曲がってしまう。
 
そんなことは案外多くあります。
 
 

深い対話が
なされているようで、
 
その実、
”感じる” がお留守になってしまう。
 
これはカウンセリングとしては
うまくありません。
 
 
 
 
 
 
 

例えば、悲しみ。
 
悲しみを感じている、
がテーマならば
 
悲しい、といって思い出す
印象的なエピソードは何か、
 
どんなふうに悲しいのか、
 
悲しみを感じる時に
身体はどんな反応をしているか、
 
など飽くまでも
”自分の体験”
話すことが大切です。
 
 

それを
悲しみとは何か、
 
悲しみを
人はどう乗り越えるのか、
 
悲しいと感じる
個人差はどう考慮するか、
 
などは
個別の体験から離れ
 
抽象的で一般的な概念を
考えることになってしまいます。
 
 
 
人生に起こった個人的な体験を
個人的な意味に落とし込む
 
これこそが
カウンセリングでやりたいことです。
 
クライアントさんのお話を伺っていて
 
「あれ・・・?
 話が上滑りし始めたかな・・・?」
 
と気づくとき、
 
話が ”哲学問答” に
なっている時が多いのです。
 
 

クライアントさんとの
付き合いの長さや関係性に応じて
 
やんわり
本題に踏みこんだり、
 
そのまま待ってみたり、
 
とぼけて
「哲学的になってきましたね?笑」
とお伝えしたり、
 
いろいろです。
 
 

私自身が
考えることが嫌いじゃないので、
 
ついうっかり
のっかってしまいがちですが
 
そうすると
たいていうまくいきません。
 
 
 
ぐるぐる考えることが
カウンセリングではない。
 
心理カウンセリングは
哲学問答ではない。
 
ご自身の体験を
感情にきちんと触れながら
自分のものとして振り返る。
 
哲学的真理ではなく、
自分の中の真実を見つめたい。
 
厳に戒めつつ
ご一緒させていただいています。

 

 

 

カミヤカオリ

 

 

 

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