原因がはっきりしない頭痛、これって感情の問題!? | ひとしずくの純金

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自分の感情に気づいていますか?

気づいているにきまっている、と思ったあなた。
とっても健康です!

と、宣言したいところですが、
ことはそう簡単でない場合もあるんですね。



その人なりのいきさつあって、
「自分の感情がわからない人」
がいます。


どんな気持ちですか?

と問われて、感情を表す言葉が出てこないんですね。

多いのが、感情ではなく、

事情背景を語ったり、
事実について述べたり、
考えたことについて意見したり、

と、別のことに置き換えて話す人がいたりします。


しつこく、
「で、その時の気持ちは?」
と重ねて聞くと

「あぁ、気持ちか」
と気づく人もありますし、

「はい?だから話してるじゃん」
とまったく気づかない人もいる。

大人になればなるほど、
感情を統制できることは奨励されても、
表現することを促される場面というのは少なくなりますからね。

仕方ないのかもしれません。


ですが、
あまりにも自分の感情を自覚できなくなるのは
やっぱり問題です。

感情を表現できないとき、
それは、3つのパターンがあります。



一つには、
「そもそもどういう気持ちなのか判別できない」
という場合。

自分が感じていることへのアンテナの反応が鈍く
小さな感情の揺れや、
微妙な感情の違い、
などがキャッチできにくく
「んー、よくわからない」という状態です。



次に、
「何かは感じているのだけど、言葉にできない」
という状態。

自分にとってしっくりする表現とか
ぴたっとくる言葉が見つけられない状態。

表現する機会が少なかったり、
文化的に表現することにマイナスイメージがあったり、
という環境にあまりになじんでいると、
言葉にすること自体に違和感をもってしまうのかもしれません。



最後に、
「感じていること以外のことを話すことに慣れ切っている」
という状態。

ひたすら、事実や、行動について話すのは、
ある種、感情に”ふた”をするための方便として
便利な方法ではあります。

もしかすると、自分に感情があること自体
他人事のような状態になっているのかもしれません。



しろたえ_バター




というふうに、
感情について無自覚になっている状態には
いくつかの状態があるわけです。

で、これに気づくのとっても大事です。


なぜなら・・・

感情として気づいてもらえなかった”気持ち”
は、気づいてもらえなかっただけで、ナイわけではない。

だから、どこかで表に出ていく必要がある。

そういうときに、出ていく場所が体
となることがある。

怒っていることに気づかない
悲しいことにふたをしている
我慢していることに目を背けている・・・

そういうときに、
原因がはっきりしない頭痛が起こったり、
めまいや、胃痛、咳や熱、に悩まされること、
けっこう、あります。


(※逆もあるので注意です。
気分が落ち込むなー、と思っていたら、身体疾患が原因だった、
ということもあります。)


明らかな身体疾患がある場合は別ですが、
いわゆる不定愁訴の形で表れてくる、
そういうこと、あります。


だから、不快な感情だったとしても、
それをなかったものとするのではなく、
まずはきちんと「そこにある感情」として気づいてあげる。

そこからスタートするんだよな~、
と思います。


カミヤカオリ

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