意思決定で失敗したくない!"正解"と"不正解"を分けるもの | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

「意志決定とはどういう意味をもつか?」


というテーマでのお話で、

まずは


「結果を引き受ける覚悟を決めること」

という私なりの考えと、そこに込めた思いを書きました。


→ 『結果を引き受ける覚悟を決めること』
 


今回はその続き。


人間、一度しか人生を生きることができないなら、
できる限り失敗したくない、と思うのは人情だと思います。


それで、少しでも
”正解”につながる意思決定をしたいと思うわけですが、


その、”正解”ってなんだろう、
について考えてみようと思います。



”正解”があるなら、”不正解”もあることになりますが、
その二つを分ける基準はいろいろ考えうると思います。



たとえば、私の場合、
サラリーマンを辞めて独立するとき、それなりに悩みましたが、


この決断は本当に得策だったのか?
いい選択だったか?
この意志決定は正解だったか?


と考えるとき、
さまざまな判断基準があるはずなんですね。





横浜の夕方




年収で比べる事もできるでしょうし、
やりがいで比べる事もできる。

はたまた、
人生全体の充実度の一部として判断する事だってできる。



人生の終わりごろに判断したら、
また違った側面が見えてくるかもしれない。。。


不正解だと思ったことが、

後々、やっぱり正解だった!ということだって充分あり得ます。



そう考えると、意志決定というのは、ついつい

「何を選ぶ(のが正解なの)か?」

に注目しがちですが、実は


「いつ決断するか?」
「どうやって正解にするか」
「何をもって正解とするか」
「いつ正解かどうかを判断するか」


などなど、様々な視点があり、
それによって右にも左にもなるものだと言えます。



そういう様々な視点をひっくるめて、

「それでも私はこの選択に満足している」

そんな意志決定ができたらいいな、と思っています。



そのために必要なこと・・・

私は3つ挙げています。


続きは、コチラ でご覧ください~。^^



カミヤカオリ


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