焦りに飲み込まれそう・・・ | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

「時間がない」というのは、


やりたいことをやれていないのか、
焦りに惑わされているのか。


どっちが原因なのか、によって
対策が変わってくるはずだ、


という話をしました。


→ あれこれやりたいけど、時間がない!



ということで、おとといからの続き、
今回は、もう一つのほう、


やりたいことをやっているはずなのに
焦りがあって、「時間がない!」と感じてしまう場合


について考えようと思います。



やりたいことができなくてもイライラし、
やりたいことができていても焦ってしまう。


これでは、どっちにいってもなかなかツライ(笑)。


時間があろうとなかろうと、
やりたいことがやれていようとなかろうと、


焦りというのは、

実体があるところよりも先に気持ちが行ってしまっている、


そういう状態に感じるものです。



これだけのことが終わっているはずなのに、
終わっていない!


今頃、あっちに到着していないといけないのに、
まだこんなところにいる!


いついつまでにこうしたい、と願っているのに、
このペースだととうてい叶いそうにない。。。


いずれも、目の前のことから気持ちが離れて
先の目標のほうに心が飛んでいってしまっている。



目標を達成するというのは、


将来の目標を見据えつつ、
目の前のことに取り組んでいくという両輪を回すことなのに、


焦りに支配されているときというのは、
その片方が抜けている状態、ともいえる。


よくいう「今・ここ」を見失っている状態。






サラダ




とはいえ。


いくら「今・ここ」といわれても、

そこに到達するまでの道のりと、


日々、積み重ねる一歩一歩の歩幅の
あまりに小さい頼りなさを思い比べると、


その長さに、遠さに、高さに、
圧倒されてしまいそうになる。


だから、焦る。



しかし。

しかし、ですよ。



よく考えたら、毎日積み重ねることができる歩幅というのは、
一日に進める分しかないわけです。


焦りながら一歩進んでも、

落ち着いて楽しみながら進んでも、


一日に進める距離は等しい。



もちろん、工夫次第では、
1.0歩が1.3歩になるかもしれない。


でもそれも、これまでの積み上げ効果だと思うんです。


だから、長い距離を進むには
やっぱり、一歩一歩しかない。



日陰でひゅるひゅるひゅる~っと伸びた植物は
丈だけは伸びてもひ弱。


ささーーーっとすばやく建てた藁の家は
オオカミから守ってくれない。



それと同じで、

簡単に手に入れたものは、
無くしやすく脆弱・・・だったりします。



目標に向かうプロセスを楽しまずに、
結果だけに意識が向かうのは、


推理小説を読んでいて、
中身を全部飛ばして犯人だけ知ろうとするするようなもの。



やりたいことをやれている幸運を忘れて
焦りに飲み込まれそうになったら、


時間がかかる道のりには、

プロセスにこそストーリーがあるってこと、
思い出してくださいね。



自分がどんなストーリーを生きようとしているか

分からない、悩む、迷っている・・・


という方!

体験セッションで一緒に考えましょう。


お問い合わせお待ちしていますね。



カミヤカオリ


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