誰に対してか? | ひとしずくの純金

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『誠実とはいえないと思う』

・・・と彼の人は強い口調で思いを言葉にしていた。

強い感情が動いているのが伝わってくる。思い出しながら語る口調が、いつもの穏やかなものとは全く違う。

よほど据えかねる想いだったんだろうな。。。


それは伝わってきてた。

伝わってきてたけど、聴きながら心のどっかで・・・誠実さってなんだろう・・・って思う自分にも気づいていた。


誠実さのありようはいろいろとあると思うし、大切にしたい度合いも人それぞれ異なるだろう。

それにしてもあの口調・・・。

私はその時、残念ながら充分に受け止めきれなかったんだけど・・・それは、その対話が終わった後でも私の中に”揺らぎ”を残していったんだよね。


・・・誠実さってなんだろう・・・


行き着いたのは、『誰に対してか?』・・・ここがいま時点での私なりの答。


誰しも大切にしている価値観があって、たとえばこの”誠実さ”っていうのもその一つだと思うんだけど。

その誠実さを誰に求めるのか、っていうところが考え方の分岐点かなぁ、と思ったんだよね。


誰かが誰かに対して誠実である。

とか、

誠実でない。

とか。


こういうことを論じるとき、その裏側に関係者の利害ってないのかな?とふとよぎる。

よほど巧妙にだまし討ちされたら、そりゃぁ怒るし、ふざけるなと思うし、誠実とはいえないと思う!と訴えるだろう。


だけど、それが解釈の違いくらいだとしたら?

その線引きはどこでするの?誰がするの?

どの程度だったら”だまし”で、どの程度だったら”誠実でない”なの?

事故だった余地はないの?

その”コト”が発生するまでに、まったく兆候はなかったの?

マズい展開に気づかないことにする、と目をつぶった自分はいなかったの?


一般的な価値観を持ち出して相手を糾弾するとき・・・それは、自ら被害者になることを選択している・・・そんなふうに見えることがある。

これだけのものを提供しているんだから、これだけのものが返ってくるはず、という交換条件が自分の中だけに成立していなかったのか??

何か提供することにしたその時点で約束がないなら、それは自分だけがしていた期待。悔しいけれど。心底腹が立つけれど。


だとしたら、一体、何に対して誠実さって求めればいいんだろう・・・

誰に・・・?

誰なら・・・?

人それぞれに自分自身という個を大切に権利があるとしたら、どこに求めればいいの・・・?


・・・そうか・・・誠実さを自分に対して課している場合、どうなるだろう。

自分の価値観に対して誠実である。

自分が決めたことに対して誠実である。

自分が大切にしているものに対して誠実である。


こう考えたときに、現時点なりの答に触れたような、ちょっと自分の中での手ごたえ感があった。

それは、他人にも、環境にも、その他お金や時間、条件や立場などに左右されない、自分で自分の行動を選択した、という責任感にも通ずるからだと思う。


どういう結果になろうとも、あの時点で自分はこう判断したんだ、っていうそのことに対して誠実でいること。

これなら自分でコントロールできる。

誰のせいにもせずに済む。

人間そんなに仏になれないから、いったんは歯噛みすると思う。でも、歯噛みしたとしても、早晩、状況を立て直すために、自分らしい新しい選択をする気力が戻ってくる。


ここまで考えて・・・ちょっと着地。

世の中にはムカつくことがどうしたってあるよ、仕方ない!笑

そんなどうしようもない仕方なさも知りつつ、『自分の生き方に誠実であること』を選択した勇気を喜べるようになるといいなと思います。


・・・つい数日前、『ねぇ、毛穴から血が噴出すほど悔しい思いしたよ!!!』って怒ってた私だからこそ・・・そんなふうに思います(笑)。



カミヤカオリ