転機のほうが向こうからやってきて
完全に後手であれこれ動いています。
なんとか
落ち着けるといいなぁ、と思います。
最初のうちこそ動揺してしまって
あまり前向きに受け止められなかったけど
いまはひさびさに
「やったるでー!」の気分です(笑)。
職業人生の最後の15年をどうしようか、
と考えていた折でしたから
当初うっすら考えていたよりも
もうちょっと頑張ってみようかなぁ
という感じです。
たまには頑張るっていうのも
いいかな、と。
そんなこんなで
ふと数年前に立てた目標を思い出し
当時小さく書いたメモを
引っ張り出してみました。
手帳をひっくり返すと
2021年、4年前に立てた目標でした。
目標を立てるだけ立てて
その後、メモを見返すことは
ほとんどありませんでした。
「なんとなくあっちの方向」
のイメージだけはもって
あとの細かいことはそんなに意識せず
4年間を過ごした、
実感としてはそんな感じです。
果せるかな
4年経って達成具合を見てみると
なんとぴったり達成できていました。
びっくり。
「いつごろにこのぐらい」
の時期と量の両方がぴったりでした。
早すぎず、遅すぎず、
少なすぎず、多すぎず。
へぇ。
こんなこともあるんだねぇ。
毎日数字をにらんでいたのではなく、
どちらかというと忘れていたのに(笑)。
こういうとき、
「潜在意識が・・・」とか
「宇宙にお任せ・・・」とか
ちょっと不思議な力に
導かれているような気持ちに
ならなくもないんだけど、
私はどちらかというと
「ちゃんと自分に
つながっていたんだなぁ」
と思うクチです。
自分につながっている、を
私なりに言葉にするなら、
自分と自分がつながっている
身体感覚と思考がつながっている
見栄や焦りではなく
本当に欲しいものとつながっている
過大でもなく過小でもない
等身大の自分とつながっている
そんなイメージです。
今の自分の力量と
今後の伸び率と
どこまで行けるかを考えたとき
「このくらいかなぁ」
という目標を立てた。
それだけのことかな、と思います。
一般的にはこのくらいは
最低、達成しなければ意味がない
これぐらいできなければ恥ずかしい
などといった
自分の外側の基準は採用せず
飽くまでも自分の中にある
希望や感覚、勘、予測が基準です。
そういえば、
サラリーマン時代に課せられた目標は
それらの自分の内的な基準とは
一切つながっていなくて
本当に苦しかったことを
思い出しました。
達成なんてできやしないし
(そもそもそんなにその気もなかった)、
たまに達成しても
ぜんぜん嬉しくない。
達成のための努力だって
もちろん楽しくないし
新しいアイディアや工夫なんて
出るわけもない。
苦しいのに頑張っていた自分は
いったいなんだったんだろうな、
と思います。
目標って
取り組む人のためのものだよね。
誰かのためじゃなく
自分のためなんだもの。
『意味のある目標』が
単独で存在しているのではなく、
自分がいいと思う目標だからこそ
意味が生まれるんだよね。
自分がいいと思う目標に取り組むって
当たり前のことのようだけど
やっぱり当たり前じゃなくて
「いつの間にか達成していた」
という経験をして改めて
忘れちゃいけないことだよなぁ、
と実感しています。
誰のためでもない
自分のための目標。
それがまわりまわって
誰かのためにもなっていた。
そんな目標だったら尚よし、だよね。
きっと自分のまごころに通じる目標なら
それも充分あり得るんだろうなぁ
なんて思います。
私もいつかそんな目標を立てたいし、
そんな目標のある人生を生きたい。
目標はありますか?
そもそも
目標を立てたいでしょうか?
目標をもって生きたい人が
いい目標が立てられる、
そんな社会だといいよね。
いい目標に出合えますように。
カミヤカオリ
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