八十歳の壁を越えて、 読書 「迷いながら生きていく」 五木寛之著  | pikoのブログ :読書は楽しい, アートに生きよう!

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五木寛之著 「迷いながら生きていく」 PHP研究所 2019年10月14日発行 読了

 

五木寛之さんは2010年に長編小説「親鸞」で毎日出版文化省特別賞を受賞

 

たくさんの本を出版されているが、読んで心の拠り所となる本が多い

 

 

この「迷いながら生きていく」は百歳寿命が当たり前になった今日

 

65歳を過ぎたら今後生きていく準備のために大変ためになる内容と思われた

 

 

 70歳の時に「五木寛之の百寺巡礼」の企画を始め、三年がかりで巡り終えた

 

寿命が延びた晩年の「地図のない明日」とたとえて可能性に満ちた未来だと

 

言っています

 

 

 この新しい世界を、長く続く時間を生き切るには...

 

 一つの有効な手段として思いつくのは、「変化する力」です

 

 

 「自逝」―大いなる流れの中で、去る時を自分で決めること

 

 

 「樹木希林 120の遺言」を読んで

 

  希林さんは「いつかは死ぬ」ではなく、「何時でも死ぬ」という感覚だ、

 

  と言っている。それを「覚悟」とも言っています

 

 

五木寛之さんは

 

 何か原因があるわけでもなく、憂鬱に囚われてしまうことがあります。...

 

 何とも言い難い、暗い気持ち、一言でいうと「暗愁」と表現したいような、

 

 そんな気持ちなのです

 

 

私も高齢になるに従ってこの様な「暗愁」気分になることが多いので共感します

 

 

 この「暗愁」は、人間の中でも、最も根源的なものかも知れません。人は、

 

 この暗愁を覚える時、自己の存在に、素手で触れているのではないかと思います

 

 あるいは、自己の存在が、私たちの魂に触れていると言えるかもしれません

 

 

最後の章に

 

 実は「死の覚悟」は出来ていない

 

 兼好法師が「徒然草」で、「死はまえよりしも来たらず、かねて後ろに迫れり」

 

 と言っていますが、けだし名言です。死というものは、向こうから見えるようには

 

 近づいてこない。前から徐々に近づいてくるものではなく、背後からポンと肩を

 

 叩かれるように、不意に顕われるものということでしょう

 

 

最期の言葉に

 

 

 自ずとなるべきようになる