八十歳の壁を越えて、会う時は何時もバッタリ... | pikoのブログ :読書は楽しい, アートに生きよう!

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昨日、いつものカフェでYoutubeを見たり、読書しての帰り道

 

立ち止まっている女性の横を通り過ぎようとして

 

ふと振り返ってみると

 

高校時代2年、3年と同じクラスの友人だった

 

 

私たちの卒業した都立高校は台東区にあった

 

若い頃は都心に長い事住んでいたが

 

45年前に思い切って縁のない埼玉県に引っ越して来た

 

 

引っ越してきて間もない頃は

 

東京の職場に毎日通っていたので

 

近所の探索もままならなかった

 

 

或る日、電車の中で名前を呼ばれたので

 

振り向くと、高校時代の友人が不思議そうな顔して

 

「○○さんでしょう?どうしてここにいるの?」と言われた

 

 

高校時代はグループが違っていたので親しい友達ではなかった

 

けれど2年間一緒のクラスだったから、よく覚えている

 

 

お互いに再開にびっくりして

 

この地に住むようになったいきさつを語った

 

 

彼女は医者と結婚してこの地に開院したと云うことだった

 

この地には大分先輩だったのでそれから度々世話になった

 

 

彼女は敬虔なクリスチャンで

 

考え方も、生き方も私とは人生コースが異なっていた

 

 

会って話す内容は高校時代の思い出話ばかりである

 

受験コースのクラスだったので

 

お互いに楽しい思い出は無い

 

共通の話題は「あの高校時代は楽しくなかったわね」なのだ

 

 

会う時はいつも私が彼女の助けを必要な時であった

 

 

私もこの地に慣れてあちこちに友人が出来た

 

 

近年年賀状のやり取りだけで疎遠になっていた

 

 

ところが最近、間を置いて彼女とバッタリ会う現象が起きている

 

「会えてうれしわ!」と言ってくれる

 

「その内ランチでもしましょうよ」と言ってくれるが

 

まだ実行はされていない

 

 

バッタリ会うということは一瞬のチャンスである

 

お互いに何か引き合うものがあるのであろうか?

 

お互いの波動が引き寄せているのだろうか?