私の場合、軽躁状態になると思い立ったらすぐに行動しない時が済まない。というのが一番の特徴だと思う。また、気分が良くなるし気が大きくなるし行動力も増す。さらには頭の回転も明らかに早くなり、ひと時の天才気分を味わうことができる。そういう時は議論で負けることがない。相手の二手三手先まで読めてしまうからだ。また万能感に溢れ、自分は何でもできるような気になることもある。

 ハンドパワーがあると思い込み、手をかざせば病気やけがを治せると信じていた時期もある。実際に自分の膝に手をかざすと、膝が温かくなるのだ。温度を測ったわけではないが、手をかざしていない膝よりも温かくなっていた。人体は不思議だ。さすがに他人にやってみようとは思わなかったが、母は膝が悪いので手をかざしてみたこともある。今思うと、その時の母はどんな心境だったのだろう。

 幸いにも直前でやめたが、気持ち良さそうだからと真夏に上半身裸で自転車で出かけようとしたこともあるし、またある時はチンピラ二人組に喧嘩を売ろうとしたこともある。その時、なぜか私は最強なのだ。相手をボコボコにするイメージしかない。一歩間違えば、今頃私は生きていないだろう。

 こういった事例は大小数えればきりがない。軽躁状態のエピソードは人それぞれだ。幸いなことに私は突き抜けるまではいかないようである。いや、実際には突き抜けていたのかもしれないが、普通の状態ではないことをうっすらと認識していたので、極端に誰かに迷惑をかけることはなかったのではないかと自分では思っている。あくまで自分では。

 しかし、意気揚々と理想や目標をとめどなく語ってしまうこともあった。後でふと我に返り恥ずかしくなってしまい、二度と行かなくなってしまった場はいくつかある。結果的に、せっかく手に入れた居場所を失ってしまうのだ。そういったことが繰り返されると臆病になり、自分の世界を広げる機会を失ってしまいがちになる。周りの人はあまり気にしていないのかもしれないが、自分のプライドが許さないのだ。軽躁状態に気付けなかった自分が悔しかった。

 躁うつ病の場合、一番怖いのはうつ状態ではなく、極端な躁状態であることは想像に難くない。突き抜けてしまうと、今まで築いてきたキャリアや人生を一瞬にして棒に振ってしまう可能性があるからだ。したがって躁うつ病患者の到達目標としては、若干のうつ状態を長期に渡り保つことが一般的らしい。

 そのことは今の私には理解できるが、病気を発症した当時は驚きを隠せなかった。どうして若干の躁状態、すなわち軽躁状態を着地点としないのかと。軽躁状態は気分も良いし、活動的にもなれる。度を超えてしまうと危険な状態になってしまうのはわかるが、若干苦しい状態が到達目標であることに憤りを感じていた。