続きになりますが、大吉の場合は一般的な軽躁状態とは少し違うと感じています。決して浮かれているわけではないですし、特に楽しくもないのです。むしろ、「いったい自分に何が起こっているのか?」、「行き着く先はどこなのか?」という漠然とした不安感の方が強いのです。もちろん、周りからは浮かれているように見えるかもしれませんが。
あえて言えば、アメブロを2ヶ月前に始めたことでしょうか。時期としては一致しています。ブログを始めたことは、一般的な軽躁状態のなせる技だったのかもしれません。
むしろ、自分ではいつも以上に冷静だと感じています。実は、ブログを書いていることは主治医にも正直に話してあるのです。そして、ブログをしばらく休んだ方が良いのならばそうするとも伝えました。しかしそれに対する回答は、「そのまま続けなさい。」とのことでした。「表現したいことがあるのに、我慢するのはかえって良くない。」とも言って頂きました。ただし、1日4時間までという制限はつきました。
主治医の見解によると、現在の大吉は軽躁状態ではあるが、何かトラブルを起こしてしまうような危険な状態ではないとのことでした。話の筋も通っているし、矛盾点も感じられない。とても冷静だとも言って頂きました。ですから、大吉は安心してブログを続けているのです。
ただ、今の状態がいつまで続くのかは自分でもわかりません。一つ言えることは、無理をすると後で必ず反動がきてしまうということです。それが、躁うつ病の特徴の一つでもあります。テンションが高ければ高いほど、その期間が長ければ長いほど、一般的にはその後の気分の落ち込み、つまりうつ状態がひどく長いものになってしまいます。
そのことは十分理解しているつもりです。ですから、無理は決してしたくありません。大吉にとって一番大切なこと。それは、毎日当たり前に仕事に行くことです。そのベースがあってこそのブログであり、ボランティア活動なのです。
地味でもいいので、1日でも長くブログを続けたいと考えています。そのために、まずは自分自身の体調管理を最優先いたします。前にも書かせて頂きましたが、軽躁状態を自分で把握することは非常に難しいのです。今現在も、どこまでが本来の自分で、どこからが病的な自分なのかの線引きは出来ません。その線引きが出来る日が来るのかどうかさえも不明です。おそらく、100%は難しいのではないかというのが大吉の見解です。
大吉は病気になって良かったと心から思っています。もちろん、そう思えるまでには筆舌に尽くしがたい地獄を経験してきました。一歩間違っていれば、今頃この世にいないでしょう。ですが、死に物狂いで乗り越えてきたからこそ、何気ない幸せが骨身にしみるのです。例えば、「爽やかな風に吹かれる。」、「ちょっとした人の優しさに触れる。」などです。もっと極端なことを言えば、「平穏無事に息をしているだけで幸せ。」なのです。
そういった幸せに日々包まれながら、大吉は生きていきたい。
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あえて言えば、アメブロを2ヶ月前に始めたことでしょうか。時期としては一致しています。ブログを始めたことは、一般的な軽躁状態のなせる技だったのかもしれません。
むしろ、自分ではいつも以上に冷静だと感じています。実は、ブログを書いていることは主治医にも正直に話してあるのです。そして、ブログをしばらく休んだ方が良いのならばそうするとも伝えました。しかしそれに対する回答は、「そのまま続けなさい。」とのことでした。「表現したいことがあるのに、我慢するのはかえって良くない。」とも言って頂きました。ただし、1日4時間までという制限はつきました。
主治医の見解によると、現在の大吉は軽躁状態ではあるが、何かトラブルを起こしてしまうような危険な状態ではないとのことでした。話の筋も通っているし、矛盾点も感じられない。とても冷静だとも言って頂きました。ですから、大吉は安心してブログを続けているのです。
ただ、今の状態がいつまで続くのかは自分でもわかりません。一つ言えることは、無理をすると後で必ず反動がきてしまうということです。それが、躁うつ病の特徴の一つでもあります。テンションが高ければ高いほど、その期間が長ければ長いほど、一般的にはその後の気分の落ち込み、つまりうつ状態がひどく長いものになってしまいます。
そのことは十分理解しているつもりです。ですから、無理は決してしたくありません。大吉にとって一番大切なこと。それは、毎日当たり前に仕事に行くことです。そのベースがあってこそのブログであり、ボランティア活動なのです。
地味でもいいので、1日でも長くブログを続けたいと考えています。そのために、まずは自分自身の体調管理を最優先いたします。前にも書かせて頂きましたが、軽躁状態を自分で把握することは非常に難しいのです。今現在も、どこまでが本来の自分で、どこからが病的な自分なのかの線引きは出来ません。その線引きが出来る日が来るのかどうかさえも不明です。おそらく、100%は難しいのではないかというのが大吉の見解です。
大吉は病気になって良かったと心から思っています。もちろん、そう思えるまでには筆舌に尽くしがたい地獄を経験してきました。一歩間違っていれば、今頃この世にいないでしょう。ですが、死に物狂いで乗り越えてきたからこそ、何気ない幸せが骨身にしみるのです。例えば、「爽やかな風に吹かれる。」、「ちょっとした人の優しさに触れる。」などです。もっと極端なことを言えば、「平穏無事に息をしているだけで幸せ。」なのです。
そういった幸せに日々包まれながら、大吉は生きていきたい。
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