大吉が部屋の隅でグルグルと唸っている。尋常ではない様子だ。近づくと余計に激しさを増す。よく見ると、自分の左後ろ足を激しく噛んでいた。何かに取り憑かれたかのように。すでに血まみれであった。一体何が起こったというのだ。一向にやめる気配がなく、抱きかかえて口から足を強引に離した。大吉は怒り狂っていた。肉球からひどく出血しており、傷口はすでにぐちゃぐちゃになっている。私は何が起こっているのか全く理解できず、ただただ大吉を抱きしめていた。

 大変なことになった。自然治癒力で治るほど、軽い状態でないことはすぐにわかった。とにかく獣医さんへと急いだ。私が大吉を抱きかかえ、母に車の運転をしてもらうことにした。抱えていないと足を噛みちぎってしまいそうだったのだ。

 獣医さんも、全く原因がわからないようであった。まずはこれ以上噛まないように、大吉の首にコルセットを巻いて固定してもらった。首の自由が利かないため、しばらくは無事に過ごせそうだ。しかし傷口は深刻であった。すぐさま手術が必要な状態であるらしい。その日は大吉を預け、自宅に帰ることになった。私はかなり動揺していた。たとえ傷口が無事に治癒しても、また噛んでしまうのではないかという思いが頭から離れなかった。それぐらい、大吉の狂気に満ちた様子は衝撃的であったのだ。

 次の日、会社が終わるやいなや迎えに行った。大吉は左後ろ足に緑色のギブスをしていた。手術は無事に成功したとのことであった。ただ獣医さんによると、足の爪は全て根元から噛みちぎられていたそうだ。肉球が完治しても、爪は生えてこないかもしれないと言われた。化膿止めの薬をもらい、大吉は私と一緒に自宅へと帰った。

 傷ついた足を床につけないようにひょこひょこと歩いている様子は痛々しく、我が身のように辛かった。首に巻いたコルセットのおかげで、今のところ足を噛むことができずおとなしくしている。昨日の狂気は影を潜め、いつもの無邪気な大吉に戻っていた。私はひとまず安心した。その日からしばらくの間、一日おきに獣医さんへ通う日々が続くことになる。大吉は果たして、コルセットを外せる日が来るのだろうか。なぜか悪い予感しかしなかった。そしてその予感は的中することになる。

 その日から一か月ぐらい獣医さんに通っただろうか。肉球は一回り小さくなってしまったがすっかり完治し、心配していた爪もきれいに生え揃っていた。しかし、念のため首のコルセットはしばらくそのままにしておくことにした。

 会社で仕事をしていた時、不意に携帯が鳴った。母からだった。車の中から電話をしているらしくかなり焦っている。どうやら大吉が再び足を激しく噛んでしまったらしい。ミニチュアダックスフンドは胴が長い。いつの間にかコルセットにも慣れ、足に口が届くようになっていたのだ。

 母は助けを求めていた。その声はむしろ悲鳴に近い。血まみれの大吉を抱えて獣医さんに行こうとしたが、暴れて運転ができる状態ではないらしい。しかし、飼い犬のために職場を離れることは社会人としていかがなものか。私は咄嗟に考え、母が怪我をして動けないことにして、会社から一時離れる許可をもらうことにした。

 急いで現場まで車で駆けつけた。母は困り果てている。せっかく完治した足は再びひどい状態になっていた。私が大吉をしっかりと抱え、そのまま獣医さんへと急いで向かった。獣医さんも頭を抱えていた。今までこのような症例は経験がないらしい。即座に二度目の手術となり大吉を預けることになった。しかし、何度手術をしても同じことの繰り返しなのではないか。絶望的な気持ちのまま会社へと戻っていった。

 翌日迎えに行き、再び獣医さんへ通う日々が続いた。もはやコルセットは通用しない。そこで、エリザベスカラーと呼ばれるラッパのような形をした装具を着用することにした。通常は怪我をした時、一時的に着用するものである。しかし大吉はカラーにもやがて慣れてしまい、器用に足を噛むコツを掴んでしまった。仕方なくカラーの長さを延長するために、ビデオテープのケースをハサミで切って張り付けた。もはや尋常な犬の姿ではない。このまま一生カラーを付けたままかもしれないのだ。当時、大吉はまだ三歳であった。

 驚異的な回復力を見せ、すっかり怪我は完治した。でもカラーを外すことはできない。あまりにリスクが大きすぎたのだ。獣医さんはあらゆる文献を調べてくれたが、原因は分からないままだ。しかし、少しでも可能性のあることは試してみることにした。

 まずは去勢をした。少しは気性が穏やかになる可能性もあるとのことであったから。だが一向にその気配はない。次に癲癇の薬を飲ませてみたりもした。しかし、何ヶ月経ってもやはり改善されることはなかった。一生このままの姿かもしれない。果たして、それは大吉にとって幸せなことなのだろうか。私は葛藤することになる。