私は晴れて精神障害者になった。無事に第一段階クリアである。次は第二段階として、障害者雇用で就職するための準備を進めることが新たな目標となった。まだまだ先は長いが、一歩ずつ確実に進んでいるという実感があった。

 程なくして、相談に乗ってもらった地域生活支援センターに、障害者手帳を取得できたことの報告に行った。そこの母体であるNPO法人は、就労支援センターとしてカフェの運営もしていた。精神に病を持った方が、社会へ出ていくための訓練の場でもあるのだ。主に接客や厨房、施設の管理業務を行っているようであった。

 私としても退職してから二年以上のブランクがあり、しかも無茶苦茶な生活をしていたので、いきなり就職することにはかなりの不安があった。就労支援センターのような施設で、就職のための準備をすることが必要だと考えていた。

 そのような考えをスタッフに伝えると、即座に同意してくれた。あとはどの施設で就職のための準備をするかである。実は当初、先に話したカフェでお世話になろうと考えていた。せっかく縁のあったNPO法人が運営しているので、それが自然な流れだと思っていた。しかし、スタッフはある耳寄りな情報を教えてくれたのだ。それは私にとって、とても魅力的な内容だった。

 近所に新たな就労支援センターができるというのだ。しかも、パソコンの訓練をメインで行うらしい。パソコンを使った仕事に就きたいと考えていたので、その話は渡りに船であった。ただ、その施設がオープンするのは五か月近く先の話ではあったが。私は待つことにした。こういった情報は、自宅にいては知ることができない。役所をはじめ様々な相談機関に顔を出し、情報を入手することの大切さを改めて感じた出来事でもあった。

 さて、いよいよ目標が見えてきた。しかし五か月という時間は想像以上に長い。途中、いろいろ考えて不安になることも多々あったし、少し体調を崩してしまうこともあった。将来の道筋は見えてはきたが、まだまだ本来の自分ではなかった。

 私は通院する度に、自分の気持ちを包み隠さず正直に主治医に伝えていた。ある時、かなり悲観的なことを話したことがある。まだまだ精神状態は不安定であったし、弱気なことを言うことも多々あったと思う。すると主治医はこう言った。

「今が幸せと思いなさい。」

 当時の私には全く理解できなかった。最悪の状態は脱したとはいえ、まだまだ将来不安だらけなのに、どうして「今が幸せ。」なんて思えるのかと。もしも病気にさえなっていなければ、今頃そこそこ名の知れた会社に入り、それなりに出世もし、家庭も持っていただろうし子供もいたかもしれない。それに比べて現状はどうだ。定職にも就けず、年老いた両親を頼ってどうにか生きているのだ。釈然としない気持ちを抱えたまま病院をあとにした。

 しかし自宅に帰ってから、さっき言われた言葉がなぜか急に気になりだした。そして、紙に書いて部屋の壁に貼ることにした。

「今が幸せ。」

 と。主治医に全幅の信頼を寄せていたので、何か隠された意味があるに違いないと感じていたのかもしれない。その日から毎日、一日一回は念仏のように唱えていた。一か月ぐらい経った頃だろうか、私は突然気づいたのだ。それはまるで、雷に打たれたかのように突然降りてきた。

「そうか、そういうことか!」

 そう思わないと前に進めないのだ。いくら自分は不幸だとか、運が悪いとか後ろ向きの考えをしていても何も生まれない。それどころか後退するばかりなのだ。

「今が幸せ。」

 そこがスタートラインであり、そう感じることができて初めて前に進める。それが私の導き出した答えであった。

 おそらく、百人いれば百通りの答えがあるだろう。答えを出すことも大切だが、答えを出す過程にこそ意味があるのかもしれない。与えられた答えではなく自ら考えることの大切さ。そして、頭の片隅で答えを求め続けることのなんと効果的なことか。

 いつしか無意識のうちに頭は勝手に考えるようになり、ある日突然降りてくる。そのようにして導き出された答えは、きっとそれぞれ尊いものだろう。少なくとも私は、自分の導き出した答えにより、また一歩確実に前に進む勇気を持つことができたのだ。