新たな主治医も最高の形で決まり、私は障害者手帳と障害基礎年金の申請について動き出した。インターネットで情報を集め、どのような書類が必要なのかを念入りに調べた。障害者手帳に関しては比較的容易であった。しかし、障害基礎年金については相当にややこしくわかりづらい。やはりお金が絡んでくるので審査も慎重にならざるを得ないのだろう。

 その道のプロに頼む場合もあるらしいが、何としても自分で全てやってやろうと考えていた。時間はいくらでもあったし、何か目的を持ち、集中することであれこれ余計なことを考えなくても済むと思ったからだ。もちろん、誰かに依頼してかなりの額の報酬を支払うことに、違和感があったことは言うまでもない。

 障害基礎年金を申請するにあたり、一番重要となってくるのは初診日、つまり最初に精神の病で通院した日である。初診日当時、社会保険に加入している組織で働いていれば、障害基礎年金にプラスして障害厚生年金ももらえる可能性がある。無職であればその可能性は消える。私は初診日当時学生であったので、もらえる可能性があるのは必然的に障害基礎年金だけになる。

 そのことについて、少なからず疑問に感じていた。なぜなら働いていた時に病気を発症しても、退職してから初めて通院した場合には障害厚生年金は適用されないのだ。逆に働く前に病気を発症していても、働き始めてから初めて通院した場合には適用される。つまり、初診日のタイミングで大切なことが決まってしまうのだ。だが、そのように決まっているのだから、とやかく言っても仕方のないことであった。

 申請のためには診断書が必要になる。しかも二通必要なのだ。一通は初診日から一年半後の診断書、もう一通は現在の診断書である。私が病気を発症したのは十数年前だったので、まずは当時の主治医を見つけることから始まった。しかし、主治医はすでに当時の病院にはいなかった。さらに都合の悪いことに、病院そのものが存在していなかったのだ。最初の関門である。

 インターネットであちこちの病院を調べ、どうにか当時の主治医を見つけ出した。幸いなことに、引越しをして新たな地で開業していた。まずは第一関門突破である。私は幸運に感謝した。もしも引退していたり亡くなっていたら、さらにややこしいことになっていただろう。

 まず当時の主治医に電話をかけ、事情を説明して診断書を書いてもらえるかどうかを確認した。幸いにもまだ私のことを覚えていてくれたし、初診日当時から全てのカルテが保管されているとのことであった。そして診断書を書くことを快諾してくれた。

 次は今現在の病状についての診断書である。これについては、現在の主治医に書いてもらうことができるので気が楽であった。しかし、医師によっては診断書を書き慣れていない場合もあり、また障害年金の判断基準も人それぞれだ。聞いた話では、付き添いがなく一人で通院できる時点で、障害年金に該当しないと判断する医師もいるようである。つまり、主治医によって障害年金を受給できたり、できなかったりというシャレにならない事案が発生してしまう。この点に関しては、ぜひ統一した判断基準を周知徹底してもらいたい。

 診断書の他にも自分で記入する用紙があり、病気の発症当時から現在までの様子を細かく記入する必要がある。この作業は思いのほか辛いものであった。苦しんでいた当時のことを必死に思い出す必要があるからだ。しかも、大きな用紙に両面びっしりと記入しなければならない。苦しみながらどうにか書き終え、全ての書類を揃えるまでに二か月以上かかっただろうか。その時点で私は疲れ果てていた。しかし、あとは役所に書類を持って行き、審査を待つのみである。

 結果を待つ日々は落ち着かず、毎日そのことが気になっていたし、審査が通らなかったらどうしようと心配ばかりしていた。およそ一ヶ月半ぐらい経った頃だろうか、まずは障害者手帳が無事に届いた。顔写真が貼ってあり、氏名や住所が記載されている。ほっと一安心するとともに、とうとう精神障害者になったのだなと実感が湧いてきた。しかし、だからと言って私自身が急に別人になるわけでもなく、新たな肩書きが増えたに過ぎない。

 数年経った今でも、時々自分が精神障害者であることに違和感を覚える時がある。私は今後の人生を全うするために、前向きな攻めの気持ちで障害者手帳の取得を決意したのだ。いわば起死回生の武器と捉えていた。誰の意志でもなく、自分の意志であえて精神障害者になることを選んだのである。

 しかし自分の置かれた環境によっては、健常者として人生を全うすることもできたのにという複雑な気持ちがあることも事実だ。例えば、もしも私に一生暮らしていけるだけのお金があれば、障害者手帳の取得など考えもしなかったであろうから。

 手帳が届いてからさらに一ヶ月半ほど経った頃であろうか、一番心配していた障害基礎年金の結果が届いた。恐る恐る封筒を開け、中身を徐々に引っ張り出していく。そこには支給金額が記載されていた。それは無事に審査が通ったことを意味する。この時ばかりは心から安堵した。苦労して準備したことが報われたのだ。私はこれでようやく、新たな一歩が踏み出せると確信したのであった。