あっという間に、地域生活支援センターに相談に行く日が来た。私は若干緊張しながら、車で向かった。そこは想像していた以上に若いスタッフが多く、私を担当してくれるスタッフは、三十代前半と思われる男性であった。私よりも若干若い印象を受けた。年下のスタッフに自分をさらけ出すことに、全く抵抗がなかったわけではない。嫉妬すら感じていた。どうしても、現在の自分と比べてしまうのだ。

 今までどれほど足踏みの人生を歩んできたことか、無駄に時間を過ごしてきたことか。そんなことが一瞬頭をよぎる。しかし、私は現状を打開するためにここに来たのだ。やがて面談室に案内され、私は主治医以外の方に初めて心の内を打ち明け始めた。

 今までの経緯や現状を話し、時折スタッフからの質問に答える形で面談は進んでいった。スタッフは私が話した内容を用紙に記入していくのだが、その記入された文字がとてもきれいであり、また簡潔にわかりやすくまとめられていることが、とても印象的だった。スタッフの柔らかい雰囲気とともに、そういった丁寧な対応が話しやすい環境をつくっていたのかもしれない。

 私にはあらかじめ相談したい内容が三つあった。一つ目は現在通院している病院について。二つ目は障害者手帳について。そして三つ目は障害基礎年金についてである。

 一つ目についてだが、当時私が通院していた病院は大きな総合病院だった。しかし、担当の主治医が比較的短い期間で転勤等のために代わってしまうことに不満を感じていた。

 私がこの地に引っ越してくる前までお世話になっていた主治医は、十年以上ずっと私を診てくれたのだ。精神の病は、一生付き合っていかなくてはならない場合が多いと思う。せっかく慣れてきて、いろいろと話せるようになってきた頃に、主治医が代わってしまうことは残念であり、違和感を覚えていた。そこで、このまま通院していた方が良いのか、転院するべきかをまずは相談したかったのだ。

 スタッフは私の予想した通り、転院を勧めてくれた。地域生活支援センターには、病院の情報や評判をたくさん蓄積しているようであった。三つの病院を提示してくれ、それぞれの特徴を説明してくれた。説明を聞き終わると同時に、私は転院する病院を決めていた。ここしかないと思ったからだ。今の自分があるのはその病院の先生のお陰だと思っているし、現在の主治医でもある。

 二つ目の障害者手帳についてだが、私は主治医から手帳は取得できると言われていた。しかし、精神障害者という響きに抵抗を感じていたのも事実である。精神の病は見た目ではわからない場合が多く、そのことが障害者手帳取得への大きな障害となっていたのだ。長年健常者として生きてきたのに、手帳が届くとその日から突然、精神障害者になるのだ。

 当時の私にとって、そう簡単な決断ではなかったし、家族を含めた身内に対しても後ろめたい気持ちを感じていた。特に、未成年の甥っ子たちの将来に、何らかの制限がかかってしまうのではないかという不安が一番大きく、恐れていたことであった。

 しかし、いつまでもそうは言っていられない状況になっていた。仕事が長続きしないことは過去の経験からわかっていたし、貯金も底をついていたのだ。病気を隠してクローズで働いていると、やがて精神的に必ず限界がきてしまう。私の場合、入社して三ヶ月、半年、一年経った頃にそうなってしまう場合が多かった。精神的に落ち始めると、一気に体調を崩し退職してしまうケースが大半である。しかも、歳とともに条件も悪くなり求人も減ってしまう。当時三十代後半だった私は危機感を感じていたし、将来の見通しが全く立たない状態であった。正しく瀬戸際まで追い詰められていたのだ。

 だからと言って障害者手帳を取得し、病気を正直に話してオープンで働きたいと願っても、果たして求人があるのかさえわからない。いや、ないと思っていた。なぜならば、実は地域生活支援センターに相談に行く前に、ハローワークに相談に行ったのだが、そこの職員にはっきりと言われてしまったのだ。

「身体障害者の方の求人はあるが、精神障害者の方の求人はかなり厳しい。」

 さらに話を聞くと、障害者求人の多くは軽度の身体障害者の方を対象にしているとのことであった。

 しかしスタッフは、精神障害者であっても仕事はあると自信を持って言ってくれた。だが、ハローワークで聞いた話とあまりに大きな隔たりがあったため、にわかには信じられない気持ちもあった。結果的に、親身になって相談に乗ってくれたスタッフの言葉が大きな後押しとなり、障害者手帳を取得することを決意する。

 三つ目の障害基礎年金についてだが、これについては私にとって仕事と同じぐらい、今後の人生を大きく左右するであろうと考えていた。もしも障害基礎年金を受給できることになれば、経済的にも精神的にも非常に大きな安心感を得られるからだ。二か月に一度振込まれるのだが、等級が二級だと一か月あたり約六万五千円というお金が入ってくる。

 働くことにある程度の制限がある者にとって、この金額はとてつもなく大きな意味を持つ。私の場合で言うと、あと十万円程度稼ぐことができれば、どうにか生活が成り立つのである。つまり、クローズという私にとって非常に厳しい環境下で無理して働かなくても、生活ができる可能性が出てくるのだ。それは最も望んでいた、

「人生を全うする。」

 という目標に大きく近づくことになる。

 スタッフは私との面談を終えて、おそらく障害基礎年金を受給できるのではないかと言ってくれた。もちろん、最終的に決めるのは行政なので確約されたわけではない。しかし、福祉のプロがそのような見解であることに大変勇気づけられ、再び希望が見え始めてきたことを今でもはっきりと覚えている。あの日が私にとっての大きな大きな分岐点であり、新たな人生のスタートでもあった。