私は晴れて小学校の教師になった。四年生の担任である。子供達は純粋で可愛く、忙しくも充実した日々だった。運動会や臨海学校の引率もした。まさに、人生の絶頂期を迎えようとしていた。
 
 教師の肩書きは絶大だ。両親は泣いて喜び、一躍自慢の息子になったし、身内の見る目もガラッと変わった。そう、周りの見る目がまるで違うのだ。何かにつけて先生と呼ばれ、外出するのが楽しかった。コンビニに行く時でさえ誇らしい気持ちだ。レジでお金を払う時でも、教師であることを常に意識していた。そして、

「職業はなんですか?」

 と聞かれることがたまらなく嬉しかった。今まで見向きもされなかった方から急に連絡が来るようにもなったし、女性から言い寄られることも何度かあった。今までとは世界が違って見える。毎日幸せを噛み締めていた。
 
 しかし、教師という仕事は想像を遥かに超えて過酷なものであった。朝早くから夜遅くまで働き、自宅に帰ると翌日の授業の準備。特に一年目は初任者研修というものがあり、定期的に研修を受けに行き、偉い先生方が授業の様子を視察に来たりもする。そのための準備もかなりの負担であったし、その後のダメ出しは精神的にかなり堪えた。私は少しずつ嫌な予感を感じ始めていた。
 
 ちょうど半年経った頃だろうか、エネルギーが突然切れてしまった。正しくガス欠。気がついた時にはすでに身動きが取れなくなっていた。そして、一か月間の休職を余儀なくされることになる。

「また昔と同じなのか。」

 そんな思いが頭をよぎる。キャンプインストラクターの職に就く前までは、まさにジェットコースターのような人生だった。就職しては体調を崩し、自宅にひきこもり、回復してはまた就職し。そんな繰り返しだった。
 
 一か月間の休職期間を与えられた私は、何かに飢えていた。そして、気がつくとペットショップへと足が向かっていた。そのまさに当日、大吉と出会ったのだ。ガラス越しに見る大吉はとても元気がよく、必死に未来の飼い主を求めて追いかけていた。

 その懸命さに心を打たれた。同じ匂いを感じていたのかもしれない。私は即決し、そのまま自宅へと連れて帰ることにした。それからいろんな出来事をともに過ごしてきた。苦しい時も悲しい時も、そしてたまには嬉しい時も。大吉はいわば、私の分身でもあるのだ。その当時は後に大吉にとんでもない事態が起こるなんて知る由もないのだった。
 
 大吉のおかげで、一か月間の休職期間は楽しい時間となった。その愛らしい仕草、顔の表情はこの世のものとは思えないぐらい愛おしく、毎日毎日夢中になって遊んでいた。しかし、幸せな時間はあっという間に過ぎ去っていく。

 休職期間が終わり、私は再び学校へと戻っていった。だけど、一度歯車が狂った私の脳は完全には回復していなかったのだ。一か月後に再び体調を崩し、またもや休職。結局、私は一年という短い期間で教師を辞めることになった。
 
 教師を辞める間際、一人密かに決意していた。教師の肩書きのまま死のうと。もはや、これ以上の未来を想像することができなかったのだ。今まで病気と闘いながらよくやってきた。必死に勉強して教師にもなることができた。きっと、神様も許してくれるに違いない。そう思ってから私の行動は素早かった。
 
 当時、すでに十数年間精神科に通院していたので、飲み忘れていた薬が山のようにたまっている。私はインターネットで、薬の致死量を調べる作業に没頭した。
 
 たまたま当時処方されていた薬の中に、死ねる薬を発見した時は、嬉しい気持ちでいっぱいになった。念入りに計算し、致死量の五割増を飲むことにした。それだけ飲めば逝けるだろうと。薬はまだ余っていたが、あまりに多過ぎると吐いてしまう可能性もあると書いてあった。私に失敗は許されなかった。確実に死ぬことだけを考えていた。
 
 机に薬をシートからプチプチと出していく。およそ二百錠ぐらいになっただろうか、そのものすごい量に圧倒された。これでようやくあらゆるものから解放される。不思議なほど心穏やかだった。そして薬を飲む前にやるべきことがあった。大吉とのお別れだ。
 
 階段を降りて大吉に会いに行った。相変わらず無邪気な様子で顔を舐めてくる。私がこれから何をするのかも知らずに。ひとしきり大吉を撫でた。

「ごめんな、最後まで面倒見てやれなくて。」

 そうつぶやいて、自分の部屋へと戻っていった。この世と永遠におさらばするために。
 
 部屋に戻った私は、ゆっくりと錠剤を飲み始めた。なんのためらいもなく淡々と。無事に全て飲み終わり、ベッドに横になった。それは驚くほど冷静で、不思議なほど安堵に満ちた気持ちだった。後悔の欠片もない。やっと楽になれる。やがて深い眠りに落ちていった。その後、二年間もの生き地獄のような日々が待ち受けているとも知らずに。
 
 翌朝、こともあろうに私は目が覚めてしまう。

「あぁ、これだけやっても死ねないのか。」

 絶望で目の前が真っ暗になる。トイレに行こうと立ち上がろうとするのだが、うまく立てない。

「んっ?なんだ?何が起こっているんだ?」

 気がつけば足腰が全く立たず、床に崩れ落ちていた。しかも視界がぐるぐると回っている。私は平衡感覚を失っていたのだ。文字通り這いずりながらトイレに行き、あらゆるものに掴まりながらどうにか用を足した。
 
 これは大変なことになった。やがて両親が私の異変に気づき、必死に何やら話しかけてくる。しかし、何を言っているのかさっぱり理解できないし、何かを話そうとしても呂律が回らず言葉にならない。かろうじて、薬を大量に飲んだことだけを伝えた。その時の、両親の絶望感を伴った悲しげな顔は、一生忘れることはないだろう。

 私は、過去最大の親不孝をした。