大人も自己存在感が持てない


今日も私のブログにお越しいただきありがとうございます。


昨日まで、不登校の子どもが元気になる秘訣は、「自己存在感」を持てることによって「自分を信じる」ことができるようになることだと、お伝えしてきました。

だからこそ、そう思わなくなった大人が反省をし、もう一度、自分達こそ、自己存在感が持てているかどうか見直し、学び直す必要があると思うこともお伝えしてきました。


なぜ、こんなことになるのか、ということなのです。


それは、大人の私たちが、自己存在感をしっかりと持てていないことが大きな原因だと、私は思っています。

ある意味では、だから、懸命に「自己肯定感を上げる」ことに躍起になっているとも言えます。


自己肯定感を上げるためには、その大前提となる自己存在感をしっかりと持つことが、必要なことは、ご理解いただけると思います。

私達、大常に自分の外側のこと、いわゆる社会に適応することを求められて生きてきています。

それは、大東亜戦争前も後も、変わりません。

ただ、現在の親世代は、大東亜戦争後に生まれ育っています。

現在の社会、学校で育っています。

それでも、大東亜戦争後、30年から40年くらいの方が多いと思います。

私も含め、今の親世代は、小学校に通うころ、早い人なら小学校に通う前から、目標を設定され、その目標を突破するために、努力をするという経験をされていると思います。

わかりやすく言えば、常に「何をするか」を考えさせられて、生活をしてきたように思います。

どうしたらいいか「指示」され、困ったら「提案」され、やらなかったらやるように「命令」されてきたのです。

「早くご飯を食べて」と声をかけられ、「この服を着ていったら?」と言われ、「持ち物はこれでいいの?」と聞かれ、そして、極めつけは「早くしなさい!」



自分が「どうあるか」ということについては、とやかく言われることは、ほとんどなかったのではないでしょうか。

自分が「どうあるか」などは横に置いておくことになり、そのことを、なおざりにしてきたように思います。


「どうあるか」など考えることはないのです。

この「どうあるか」ということを考えることが、自己存在感を持つためには必要なことなのです。

というよりも、「どうあるか」は人として何よりも重要なものなのです。

そこを、大人が考えずに育っているために、子どもはもっと考えることができないでいるのです。