高校進学は、はじめの一歩


今日も私のブログにお越しいただきありがとうございます。


昨日は、高校受験、合格、進学は子ども本人の責任だという厳しい話をしました。

私の中では高校進学は、社会への適応の第一歩だと思っています。


適応していくことを社会化とも言いますが、社会化を急ぐ必要はないと思いますし、社会化することが良いと言っているつもりもありません。

ただ、高校に進学するということは、どうあっても社会に出る第一歩だと私は考えています。

高校は中学校の延長ではないのです。


最近、高校、大学が昭和の時代の中学、高校のような感覚になっているように思えてなりません。

それは、やはり何か違うのではないか、おかしいのではないかと感じます。

そこには、子ども達の精神的な成長が遅くなっている部分と早くなっている部分とが混在しているようにも感じます。


精神的に成長が早い子ども達は、より自分をつくり、心を整え、自分の将来を真剣に考えて、就職していきます。

一方で、成長が遅い子ども達は、自分を持つことができず、自分自身を信頼できず、周りにあわせる、いわば自分を持たずに社会化することで、何とか社会に出ていきます。

その結果、仕事が続かず、転職を繰り返しながら、厳しい生活を送っています。


これは、私が教えてきた子ども達と話してきた実感であり、その子ども達の現状を書かせていただいただけです。

これがすべてだとも思っていません。


しかし、あながち外れているとも思っていません。

なぜなら、子ども達が目の前で見せてくれるからです。



不登校であろうとなかろうと、難関大学に進学していようといまいと、自分をしっかり作り、自分軸をしっかりもち、自分と向き合いながら、自分を大切にすることができる、そういうベースを中学生の間には、ある程度まで作ることが必要なのだと思います。

そのためには、勉強ばかりしていたのではダメなのです。

文学を読み、芸術に触れ、運動をし、友と遊び、友とぶつかり、自分のことで悩む、そんな時間が必要だと思います。


学校に行けなくて悩んでいる不登校の子ども達の方が、自分と向き合い、自分を作り上げることができる大きなチャンスをもらったのではないかとさえ思うのです。

学校に行きたくないと感じられる子どもに、大きな可能性を私はこの30年間、ずっと感じています。

自分と向き合い、家族からも応援してもらい、動けるようになり外に出られるようになったら、怖くてもいろんな人と関わっていくことが必要です。

そこは、怖くても乗り越えていって欲しいし、乗り越えていけると信じています。



以前にも書かせていただきましたが、今、学校はあまりにも多くのことを背負っています。


noteで廣田由佳さんという方が書かれている記事があります。

 

 


ここで廣田さんもおっしゃっています。

『今、学校はあまりにも多くの事を背負いすぎているのです。』

また、廣田さんはこうもおっしゃっています。

『本来必要のないものが今の社会にはあふれていて、

 本来必要なものが今の社会にはない。』

 

 



その通りだと思います。

学校は多くのものを背負いすぎ、ご家族は、生活するためにも、ご自分のためにも、仕事もがんばらないといけません。

 

大人がいっぱいいっぱいで、子どもとしっかりと向き合えていません。

その中で、社会の仕組みが追い付かず、子ども達が置いてきぼりになっている、そんな気がします。


子ども達がもっと精神的に成長し、不登校であろうと、学校に通っていようと、自分の力で高校進学を真剣に考え、取り組めるように、小さい頃から子どもと接していかなければなりません。


そのために、今、親世代の大人、これから親になっていく若者世代が、精神的に学ばないといけないと私は考えています。


結局、大人が一番、学ばなければいけないのです。

一番、学ぶべきは大人だと私は思っています。



そこで、今、私が直接かかわっているご家族を対象に、大人の勉強会を始めようと、準備を始めています。

私が先生、ご家族が生徒、などという関係ではなく、みんなで一緒に学んでいけるように、一人ひとりが講師であり、受講生であるという会にしたいと、何人かのお母様と一緒に作っています。

 

また、その会のことも、いつかご報告したいと思います。