すべての子どもに必要なこと


生まれてきたときに、どんな子どもも素直で優しい子どもだと、私は信じています。

本当のところは、私にもわかりませんが、そうであろうと私は信じているのです。

ということは、その素直さや優しさを失っていくのは、後天的なものだとすると、育っていく家庭、環境など、様々な要因で、その素直さを失い、優しさも失い、どんどん生きにくい方向に進んでいくとしか考えられません。


ご相談をいただいていたご家庭で、様々なことがあり、子どもが家族に暴力をふるい、児童相談所に短期入所になっていたご家庭がありました。

その子どもは、したくないこと、例えば、学校に行くことなどですが、それをしないといけなくなると、したくないので、家で暴れるのです。

暴れることで、自分の嫌なことをさけるようになるのです。

これは許されることでしょうか。


私は明らかに違うと思うのです。


例えば、無理して辛い状況なのに学校に行く必要はないかもしれません。

それなら、辛いと言えばいいだけです。

それを言えないなら、言うことができる練習をする必要があります。

ご家族も周りの大人たちも、辛い状況を素直に言うことができる環境を作ることは必要です。

それをしても、子ども自身が言うことができるようにしないといけないのです。



中学生や高校生になっても言えないからと、暴力をふるって大暴れして、自分の意思を通すことは、間違った方法だということは、誰から見ても明らかなのです。

これは、例えば、発達障害の子どもであってもです。

特性だから仕方がない?

それなら、暴力をふるわせて良いと許可をするのと変わりません。

極論と言われるかもしれませんが、それはやってはいけないことだと教えないといけないのです。


虐待を受けて育ったとしても、裕福なのに親から相手にされなかったとしても、ものすごく勉強ができて東大や京大に行ったとしても、普通に育ててもらったとしても、社会の中で生きていけるようにしないといけないのです。


毎年、京大や阪大といった難関国立大学に合格しながら、単位を全くとらない子ども達が数多くいることは、よく知られたことなのです。

なぜ、その状況になっているのか、どうしたいのか、その状況から改善するためにどうするのか、ということを、この子ども達は考えているのかどうか、わかりません。

こうして、学力があろうとなかろうと、発達特性があろうとなかろうと、すべての子ども達に必要なことは、社会で生きていく力を身に着けることだと、私は思います。


その社会は、できないことがあると、「いいよ、いいよ」と無理をしなくていいと、その子どもの持っている力など関係なく、嫌なことはさせないようにする風潮が強まっているように感じます。

この誤魔化しは、様々なところで形を変えて出ています。


週刊誌は、有名人のゴシップばかりを取り上げ、それをマスコミもこぞって報道してばかりいます。

こうして、政府が本当に増税ばかりして、どんどん大企業を優遇して、中小企業が苦しむようなことばかりしています。


この国をどれだけ中小企業の方々が支えているかも考えず、これまで消費税を払わなくてよかった方からも、消費税をとれる仕組みを作り、その増えたお金は、輸出還付金として、輸出をしている大企業の還付金に使われるのです。

こういうことを、書けない、報道できないように政府は目を光らせています。

こうして、誤魔化しが常にあるのです。


我が国は、誤魔化すことで、本当に必要なこと、大切なことを見えないようにしていると私は感じずにはいられません。


子ども達に対しても、本当に必要なことは、学力でも学歴でもなく、「生きる力」だと言いながら、それが身につかないように、身につかないように、うまく誘導し、下手に逆らわないように子ども達をもっていっているとしか、私には思えないのです。

本当のことを言えば、厳しい、パワハラだと騒ぎ立て、子ども達も同じようにそのことを言うために、本当のことを子ども達は何も身につけることなく、社会で逆らわない大人になるようにされていると思うのです。


それで本当にいいのでしょうか。