誰が待つのか?
子どもが不登校になった時に、私もこれまで、「子ども」が動き出すのをゆっくりと待ってあげてくださいとお話してきました。
でも、どうやら、これが違うような気がしているのです。
長い間、子ども達と接してきて、ふっと思い、だんだん確信に近くなってきたのです。
「親」が「子ども」を待つのではない。
卒業していった子ども達の顔を思い出したら、そうだ!と思ったのです。
待っているのは子ども達の方なのではないかと。
不登校やひきこもっている「子ども達」が「親」が、自分のことを本当に理解してくれて、一緒に悩んでくれるのを「待つ」のではないかと。
なかなかうまく言葉にならないのですが、感覚としたらこんな感じだと思うのです。
だから子どもが動き出すのを、「親」が「待つ」と子どもは動かないのではないでしょうか。
そんな思いがしてきて、その方がぴったりくるのです。
実は「親」が子どもの思いを本気で理解しようと学び始めるのを「子ども」は苦しみながら「待って」いるのだとしたら、できることははっきりします。
子どもが何を苦しんでいるのか、そのことについて親がしっかりと子どもを見つめ、考えることから始まるからです。
ただし、相当きついです。
なぜなら、ご家族に逃げ道は無いからです。
一般的な不登校やひきこもりについて、原因を特定することは難しいです。
私は不登校の原因をはっきりさせることは、ある程度までは可能かもしれないと思っていますが、それは、「きっかけ」ではないのです。
不登校やひきこもりになった「きっかけ」を特定してもだめなのです。
不登校やひきこもりの子ども達の持つ悩みは、一人ずつ違います。
その「きっかけ」も当然、一人ひとり違います。
でも、そのことではないのです。
その背景で、子ども達が「感じていたこと」が本当の理由だと思うのです。
動けない、動きたくない本当の理由は、感じていたことにあると思うのです。
この理由を「わかってもらえない」から、心のエネルギーをためることができず、学校に行けなくなり、社会に出られなくなるのだと私は考えています。
それが長期化すると、そんな簡単には社会に出ていけないくらい追い詰められた状態になっていくのだと思います。
では、1日も早く、「私の辛いこの気持ちをわかって」と思っているかというと、少し違うのです。
そう「感じて」いる子どもや若者もいると思いますが、大半の子ども達は、自分でもわかっていないと思います。
どうして?何で?と自分を責めていることが多いでしょう。
だから、不登校やひきこもりの子ども達ですら、自分でわからないし、言葉にもならないのですから、子ども達にご家族が聞いたところで、何も言えないのが現実です。
それでは、どうしたらいいのでしょうか。
そのことは、また後日お話したいと思います。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
谷 圭祐