大人が多面的、多角的になれるか


今日も私のブログにお越しいただき、ありがとうございます。


最難関の六年一貫の私立中学を不登校になった子どもに対して、元気になったらどうするのが良いと思いますか?


学校復帰するのが良い?
学校を辞めて公立の中学校に転校して通うのが良い?
転校しても行けないだろうから転校だけしておいて、不登校のままフリースクールにでも行くのが良い?
高校で別の私立高校を受験するのが良い?
もうどこの中学校にも高校にも行かず、高卒認定試験を受けて、大学でリベンジするのが良い?


さまざまな方法が考えられますが、どれが良いかなんて決められないですよね。


当然なのです。


その子どもの状況がわかったとしても、どうしたら良いかという正解はないのです。

でも、ご家族も周りの方も、正解を求めませんか?


実際に不登校になっているお子さんをお持ちのご家族からしたら、正解なんてわからない!とおっしゃるかもしれません。

周りで聞いていたら、こうするのが良いよ、とか言いたくなると思うのです。


そこが日本の教育の根本的におかしなところなのです。

常に正解を求めるのです。

いろいろな考え方ができないのです。


同じような話を不登校の子どもにしたことがあります。

そうすると、そんなことはないと言うのです。


「こういう解き方もある、いや、別の解き方もあると考えるではないか!」と言うのです。


でも、それはお箸を使うか、フォークを使うか、あるいは先割れスプーンを使うか、という違いのことを言っているだけで、食べるという「正解」は同じと説明したのです。


そうすると、いろいろな解き方をすることは、考えることではないのか?と聞かれたので、考えることではあるけど、判断、決断はそれほど重要ではなく、正解を導き出せたらいいだけだと伝えたのです。

そうではなくて、食べるのか、食べないのか、今ではないけど後で食べるのか、という正解のない、根源的な問いに対して、どうするのが良いか、と考えることを指していると伝えたのです。


ちょうど最初の最難関中学を不登校になり、元気になってきた後、どうするのが良いのか、という「問い」には「正解」はないのです。


自分なりに考え、判断し、決断するしかないのです。

様々な情報を収集し、分析し、自分に適することを考え、判断し、決断して、実行することしかないのです。


「多面的、多角的に」考えることが必要なのです。

「多面的、多角的に考える」

これが、文部科学省の新しい学習指導要領の方針の一つなのです。


反対の立場に立って意見を言ってみる、異なる視点で考えてみる、常識を疑ってみる、ありとあらゆる角度から物事を見ることが必要だというのです。


この力をつけることを、国が求め始めているのです。

それが証拠に、共通テストが明らかにそういう傾向になり、開成中学の入試問題も変わったということは、お話をしました。

 

 

https://ameblo.jp/k-tani-2020/entry-12790641417.html

 

 

実は、今の40代後半から50代、60代の方の時は、まだ、国からは正解を求めることができる人物、みんなと同じがいい、言わば護送船団方式を求められたのです。


ですから、社会に出て考えることをたくさんしてきても、教育となると、すぐに正解を求めがちなのが40代後半から60代の親世代の方なのです。

それでは、今の子ども達、特に小中学校の子ども達が大学入試の時には、全く歯が立たない状況になってしまいます。


この「多面的、多角的な視点」というのは、すぐに身につけられるものではありません。

だから英語を学ばせないといけない、というような話ではないのです。

子ども達と、いつも「どうして?」と問い、「なぜならば・・・」と説明させて、「あなたはそう考えるけれども、こういう考えもあるけれど、どう考える?」と、また、問いが続く。

このようなことが日常的に小さい頃から必要になります。


これを子ども達にしていくためには、実は、大人が一番、このことを学ばないといけないのです。

大人が多角的、多面的な視点を持つことが、今、何よりも必要なことだと、共通テストの分析のセミナーを受けて、自分で共通テストを解いてみて、あらためて感じたことです。