感情の言語化

 

「相手に言われた言葉や態度で感じたことを言語化する」

で、

気付きがあった件


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今月はゴミ当番。
前回、箱を出し忘れ/しまい忘れの嵐で、出す方は両隣さんが何回も門を開けて敷地に入り、出してくれていた。

今月はしくじりたくないので、
息子に、気が付いた時で良いから、と協力を要請する。

息子「構わないけれど、でもイエスとは言わない。オレにやらせたいの?云々」
「貴女が留守なら片付けるけど、居る時は出てるよと教える」と言う。

私が認識していなかった
世間体の固定観念やら
深層心理をズバズバついてきて、
目が白黒、シドロモドロ、
たじたじ、となる。

途中、ひとのこと(私のこと)よく分かってるなーと感心もする。
舌を巻く。

少し気を遣いながら話しかけたが
全否定ではなかったことに
ホッとするのと同時に

大人なんだからそれぐらいやってくれても良いやん、なぜアッサリいいよーとならないのだ?
そんなに、たいそうなことか?
という
責める気持ち
希望通りにならなくて面白くない(??)
という気持ちも
出ていることに気付く。
でも
全て息子の言う通り、ごもっとも!と最後には感じた。

全体として
息子がイライラしていなくて、受容的と感じた。

自分の感情のラベル  
始め→いっぱいいっぱい・圧倒される、まごついた、無防備な

最後→信じている。信頼している。

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言語化することによる気付き
 

息子を長い間、一人の大人として見れなかった

親の目線、上からの目線をはずすことができなかった

 

自分の感情を意識して、フォーカスして話すことができたことにより

かえって、相手の気持ちにもチャンネルを合わせることができ
私のことを心配してくれているのだな、とも思うことができた。
つまりは、相手に信頼感を持つことができた。

対等な目線になることが出来た、と思う

上からの目線が外れた瞬間だったと思う

 

また上から目線にもどるかもしれないけれど

この対等な、目線が合ってる感覚を

自分の中に感じることができたのは大きい


息子との関係が良い方向へ動く

きっかけの出来事だったと思う