『 私たちは「苦しんでいる当のものが何であるか見てみよう」とは決して言わないのです.....私が対象に対して,私の外部のものとして関係しないかぎり,問題は存在しないのです.しかし外部のものとしてその対象と関係するやいなや,問題が生まれてくるのです.私が苦悩というものを私の外にあるものとして扱う限り,私が兄弟を亡くしたとか,金が無いとか,あれやこれやの理由で私は苦しむことになるのです.しかし,私がその対象であるなら,また私がその事実を見るならば,その対象全体が一変し,全く違った意味を持ってくるのです.そのとき完全で全体的な注意力が生まれるのです.そして完全に見られたものは,理解され,解消されてしまうのです.そこには恐怖というものがなく,従って「悲哀」という言葉も存在しないのです.』


クリシュナムルティ