嫌われ松子の一生 の中で


人の価値は『生きてる間に自分が人に何をされたか』 ではなく『生きてる間に自分が人に何をしたか』だ。



というセリフがある。


この言葉は、私の琴線に触れた。

この言葉は真実だと思うが、翻って、自分はどうか?と自問すると、人に何かをすることよりも、人から何かをしてもらうことを期待しているような気がする。

だとすると、これまでのところ、僕にはあまり価値がないということになる。


何かになりたいと、資格の勉強をしたり、自己実現のために頑張ってみても、人とのかかわりの中で生かされなければ、価値など無いに等しいのかもしれない。

そもそも、人の価値を定義してみたり、価値があると定義された生き方をしたいと望むこと自体が、結局、自分中心なんだ。。


自己実現とか、自分探しとか、そういうもんじゃなくて、本当の意味で、誰かのために、何かをしている人は、最初から、「人の価値」という考え方自体、持っていないだろう。そういう人は、考える前に、当り前のように、そうやっているのだろうから。


ヒーラーとして、出逢う人すべてを愛し、幸せにするには、自分を愛せていないとできないよとか、知恵深き人は言うが、観念に縛られて生きるつもりも、もうないな。



他者に反応するのではなく、自分から創造すること。



キリストやマザーテレサは自分を犠牲にして他者に尽くしたのではなく、これが最高の自分だと思える言動を心の赴くままにしただけだと思う。


心の赴くままに生きよう。


心がペガサスのように自由でなければ、どうして、溢れる様な創造ができようか。