この度の令和6年(2024年)能登半島地震により犠牲となられた方々に心よりお悔やみ申し上げまるとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

被災された方々が一日も早く元の生活に戻れることを心から祈念申し上げます。

 

 

 

数多くのブログの中からご訪問頂きましてありがとうございます。今回は、幕末の日本に大きな影響を及ぼした大統領の貨幣の話題です。

 

ミラード・フィルモア ( Millard Fillmore / 1800年1月7日~1874年3月8日)はアメリカ合衆国第13代大統領。

今日が生誕日であるこの人は日本史の教科書には名前しか出てこないかもしれませんが、列強が植民地を求めて押し寄せていたアジアの片隅の日本にとってはこの人が大統領でいてくれたから、と思われる人物のようです。

 

 

 

アメリカ 大統領1ドル貨 第13代フィルモア大統領 

黄銅貨 2010年

MILLARD FILLMORE

IN GOD WE TRUST 

13th PRESIDENT 

1850-1853

(ミラード・フィルモア 我々は神を信じる 第13代大統領 任期)

中央にフィルモア大統領の肖像

金ぴかの貨幣ですが素材は金ではありません。プルーフ(鏡面仕上げ)の銅・マンガン・亜鉛・ニッケルの合金貨です。

 

反対側です

UNITED STATES OF AMERICA

$1

 

直径 26.49mm  量目 8.1g  素材 Manganese brass clad copper

状態 Proof(2,224,827枚S) 全発行枚数 約7,600万枚

 

縁は刻印 2010 S ⋆⋆⋆ E PLURIBUS UNUM ⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆⋆

 

 

 

ミラード・フィルモアは貧しい農家に生まれ苦労したところは後のリンカーン(リンカン)大統領と同じ(違うのは前大統領のザカリー・テイラー死亡によって副大統領から昇格したこと)。

大統領に就任後は中国市場を目指して太平洋に注目。マシュー・ペリーを日本に派遣したことで知られています。

 

この時、フィルモアはペリーに、日本に対し決して軍事行動はしないよう指示していた。つまり大砲を撃つなと(浦賀沖で撃ったのは空砲でした。しかも日本側に事前通告ありの)。

よってペリーは丸腰の江戸を撃つこともできず、かつ兵站も限られていたので与えられた交渉時間も短かった。

開国交渉の相手がこの時のアメリカだったことが日本にとって幸運だったのではないか。英仏露が相手ならこうはならなかった(清はアヘン戦争後屈辱的な南京条約を結ばされました)。

そして、こうしたペリーの裏事情を見通したうえで交渉した老中首座阿部正弘は見直されるべきではないか(NHK-BS 英雄たちの選択「ようこそ黒船 ~阿部正弘とマシュー・ペリー~ 」 )というわけです。

 

 

 

実はこの貨幣はプルーフ貨幣セットの中の一つなのです。

大統領1ドル貨シリーズ 2010年発行4種プルーフ貨幣セット

 

上の画像が表。下が裏側です。

 

その外箱

 

同梱の説明書

 

このセットの大統領の貨幣も順に拡大して紹介します。

まず第14代大統領ピアース

FRANKLIN PIERCE

前任のフィルモアの対日外交政策を引き継ぎ、日本に初の領事館を設けました。この時に派遣された総領事ハリスが突き付けた不平等条約「日米修好通商条約」にその後の幕府と明治政府は苦しむことになります。

 

第15代大統領ブキャナン

JAMES BUCHANAN

日米修好通商条約批准書交換のためアメリカに渡った遺米使節団と、万延元年にホワイトハウスにて謁見した大統領です。

この使節に随行した幕府軍艦咸臨丸には勝海舟福沢諭吉らが乗り込みました。

 

第16代大統領リンカーン(リンカン)

ABRAHAM LINCOLN

南北戦争のため対日外交政策は頓挫しました。しかし、彼のゲティスバーグ演説は日本国憲法に大きな影響を及ぼしたとの説もあります。日本でも人気の大統領。

 

 

 

軍艦で日本に開国を迫った大統領。初の領事館を設けた大統領。日本初の正式外交使節と謁見した大統領。日本国憲法に影響を与えた大統領。

以上4名が並んでいる貨幣セットとも言えると思ってます。

 

 

 

以上、日本の夜明けに関わったアメリカの大統領の貨幣セットでした。1月の話題としていかがでしたでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

何度聞いても泣ける歌を貼っておきます。

 

 

 

前回ブログ「オーストリア 子どもたちによるオーストリア第10次最終貨」の記事の中で、図柄説明のところの「フランツ・ヨゼフ2世」を「フランツ・ヨーゼフ1世」に訂正します。