思いついて「立原道造記念館」を検索したところ既に閉館されたことを知った。一度も訪ねることがなかったが,閉館の辞によると「財源を持たない有志による運営では限界があった」らしい。展示されていた関係資料は「軽井沢高原文庫」に移管されたという。そこへは随分前に行ったことがあり,堀辰雄旧宅や中村真一郎先生の詩碑を見たあと先生の『古韻余響』を購入した。

 

流れで「開高健記念館」も検索したら,こちらは無事にまだ運営中であった。茅ヶ崎にあった仕事場が記念館になったことは知っていた。ここはご存命中に一度だけお邪魔したことがあるが,それがいつだったのか記憶が定かでない。「ピラルク」の話をしておられたから,ブラジルへ出かける前の1976年か1977年のことらしい。御家族三人とも亡くなられたあと遺産継承者が茅ヶ崎市に土地と建物を寄贈したという。

 

この記念館の入館料は200円(!)で記念グッズなどを販売して運営費に充てているらしい。個人記念館の運営はなかなか難しいことを思い知った。さて左側の色紙はその一つでラテン語の箴言「Festina Lente(ゆっくり急げ)」を変形したものだ。ついでながら右側の印章はガウスの「Pauca sed Matura(狭くとも深く)」である。両者の趣旨は似ているが,二人とも「遅筆」で有名なのも面白い。

 

ガウスの「数学日記(Tagebuch)」は高木貞治『近世数学史談』にも出てくるが,右側の印章を探した序でにクラインの独語訳論文を見つけて入手した。ガウスの本文は「あまりに簡潔」なので解説なしで理解するのは難しい。高瀬正仁氏の翻訳もあるらしいのだが絶版で価格高騰していて手が出ない。

 

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