本を読んで不思議に後々まで気に掛かる「謎めいた言葉」というものがある。著者はどういうつもりで「こういう表現法をしたのだろうか」という疑問が残るのだ。そういう例を2つほど挙げてみたい。

(1)最初の例は(他でも書いたのだが)アーノルドの『数理解析のパイオニアたち』に出てくる「ニュートンやライプニッツと同じ問題を解きながら,いつも幾分彼らを凌駕していたが解析学を全く使わなかったホイヘンス」という言葉である。

微積分学を作ったのはニュートンとライプニッツだからホイヘンスには使うべくもなかったのはその通りである。にもかかわらずホイヘンスが凌駕していたと書くアーノルド先生は何を想定していたのだろうか。これに対する一つの解答は豊田利幸先生が与えている:「ホイヘンスの原理はファインマンの経路積分の先駆である」というのだ。そしてそれはその通りで,そう考えるとホイヘンスは後のマクスウェルのさらにその先まで展望していた,とも言えるのだ。

(2)次の例はヴェイユの『アイゼンシュタインとクロネッカーによる楕円関数論』に出てくる言葉で,少し長く引用すると「20年の後,同じ主題についていくつか散発的な発表をした後に,ついにクロネッカーは自分の着想を組織的に,ベルリン学士院出版の一連の研究論文として発表する決心をした。これらは「楕円関数の理論について」という表題の下で(中略)発表された。1891年,クロネッカーの最晩年に,表題が(そうすべき何の理由もなく)「ルジャンドルの関係式」と変更された」という文章の中の「そうすべき何の理由もなく(without any compelling reason)」という言い回しが気になるのだ。

当該論文では楕円関数ではなく(超幾何関数としての)楕円積分が満たす関係式が議論されているので,表題の変更は必ずしも間違いではない。そしてその話題は,それまで議論して来た楕円関数の理論と深く関係しているのも事実である。しかし,ヴェイユ先生はなぜわざわざこのように書いたのか。たんにこれが続き物の一つだから一緒に読むべきと推奨しているだけなのだろうか。

これに対する解答を与えるべくモヤモヤと考え計算しているのが現状で,残念ながら未だ結論を得ていない。ここには「二重級数の和の順序交換」に関係するややこしい問題,すなわち計算順序によって結果が異なるという「非可換性」が背後にあると思われるのだ。そういう例は「二重積分」でも存在するだけに不思議な現象ではないだろうか。

 

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