令和も7年になり、ちょっと前の感覚ですが、

天皇陛下即位の際の大嘗祭。

あの時に陛下がお召しになる

「麁服(あらたえ)」という衣服。


それを納めることができるのは、

徳島県、すなわち阿波に住む旧家、

三木家のみ。


麁服(あらたえ)は麻から

作られます。


三木家は皇室からの依頼を受け、

麻の栽培から始めます。

栽培地もお祓いされ、なおかつ

麻の栽培に適した特別な場所。

麻は100日かけて成長しますが、

そもそも麻の栽培は法律で

制限されているもの。


それに何があっても

「できませんでした」は許されない。

三木家は24時間体制の警備で麻畑を

守ります。


出来た麻の茎を天日干しし、

煮沸し、皮を剥いで紡いで糸にし、

織り上げるのです。


かかる費用は数千万円にのぼります。


剣山の麓にある三木家は

古代から続く「阿波忌部(あわいんべ)氏」の

流れを組む名門。


忌部氏とは、古代ヤマト朝廷の

宮廷祭祀や祭具の製作、宮廷造営などを

担ってきました。

古代において神事を請け負うのは

大変高貴な役柄であり、

天皇家と深い関わりがあると

見られています。


忌、とは神事で穢れを取り去り

 身を清めること、

それを行ってきた人々が忌部氏。


阿波忌部はその中の麻や木綿を

扱う人々でした。

大嘗祭の衣服も代々阿波忌部氏によるもの

でしたが、

南北朝(室町時代初期)の混乱で途絶え、

大正時代になって

580年ぶりに復活したのです。


しかしこの高貴な家柄であったはずの

忌部氏ですが、歴史にはほとんど

出てきません。


この時代の歴史、といえば

「古事記」と「日本書紀」

とりわけ天皇家の歴史を書いた

日本書紀が書かれた頃の権力者は

藤原不比等。


大化の改新の中大兄皇子の腹心、

中臣鎌足の息子にして

藤原家繁栄のもとを作ったお方です。


忌部氏は藤原氏におされ、

歴史の表舞台から姿を消したと

見られています。


それでも阿波の地で脈々と

受け継がれてきたものを

守っています。


さて、四国という土地は

気候も温暖、水もあり山もあり

海の要所瀬戸内海に面し、

古代に栄えた畿内や九州とあんなにも

近いのに、

歴史で四国はほとんど出てこなかった

のではないでしょうか。

何もなかったのでしょうか?


四国には、

最古の前方後円墳と見られるものや

竪穴式石室のものなどの

古墳群が発見されています。

(鳴門板野古墳群ほか)


また、古代において金よりも貴重とされた

辰砂、すなわち水銀の原料も

阿波は産地でありました。

辰砂は遺体の防腐剤に使われたほか、

高級顔料にされたり

不老不死の薬と思われたり。


霊性を持つ聖石とされた

青石も吉野川流域に見られます。


阿波忌部氏の祖先とされた

天日鷲命(あめのひわしのみこと)は

天岩戸の伝説にも登場します。


祈り、祀るということが

大変重要であった古代に、

神事を担当し、布を織り上げ、

貴重な鉱物や鉱石が産出され、

古墳群も存在し、

多くの神社も残る

四国、阿波の地がなぜ何も

語られないのでしょうか。


平城京が作られるよりも前の、

つまり飛鳥時代までの「場所」が

どこであるか、ということに

ついては、

特定したのは江戸幕府ひいては

明治政府だとされています。


疑問のひとつに、

中大兄皇子、つまり天智天皇の死後に

弟の大海人王子と息子の大友皇子が

争った「壬申の乱」の記述があります。


疑いを避けるため吉野に

身を潜めた大海人王子が

意を決して軍を率いて

大友皇子を戦う、

その戦場は奈良の吉野から

琵琶湖あたりまで巻き込むと

記述があるのですが。


行程がどうも非現実的で

しかも細い急流に船を浮かべた?など

疑問点も多い。


それでも定説はそこですが、

「阿波の吉野川流域」が

本当の戦場とみなすと合致する、

地名も存在している。

という主張があります。


また、万葉集におさめられた

舒明天皇が詠んだ歌に


「大和には 群山あれど 

とりよろふ 天の香具山 

登り立ち 国見をすれば 

国原は 煙立ち立つ 

海原は 鴎立ち立つ 

うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は


意味:

大和にはたくさんの山があるけれど、

特に美しい天の香具山に登って

国土を眺めると、平野には煙が立ち、

海には鴎が飛んでいる。

なんと素晴らしい国だろう」


とされているのがありますが、

盆地で内陸県の奈良から

海見える?カモメ飛んでる?


とツッコミどころがあるわけです。


また、神武天皇が降り立ったあと、

ヤマト朝廷を作ったとされる

10代崇神天皇が現れるまでの

残りの8人どうした問題があり、

四国にはその8人

(欠史八代と呼ばれています)に

まつわる神社があるとも。


古代日本については

資料が少なすぎるため、なかなか

難しいところもあります。


都市伝説系YouTuberの中には、

国生み神話にあるオノコロ島も

淡路島も吉野川の中洲にあるものを

指しているのではないか、

出雲という地名もあり、

オオクニヌシも四国ではないか、と

指摘している方もいます。

(詳しい地名などいろいろ

教えてくれてます)


それにしても、四国の調査はあまりにも

されていないといえるでしょう。


そして、大正4年に

吉野川の善入寺島(川中島)に

あった浮島八幡宮が

軍部の手によって爆破されるという

事件が起こります。


なぜ、神社を爆破しなければ

ならなかったのでしょうか。


また、古事記、日本書紀と同時に編纂された

各地の風土記の中で

四国のものは全く残っていない

のです。


風土記とはそれぞれの国、地方の

名前の由来や

産物、風俗、伝説などに

ついて書かれているもの。


阿波国風土記については、

確かに受け継がれたものが

あったはずなのに、明治期に

すべての原本が紛失している、と

語られています。


古代日本において、阿波は

どんな立ち位置だったのでしょうか。


少なくとも、のちのヤマト朝廷に

深く関わっていたのでは

ないでしょうか。


江戸幕府や明治政府は

何かを隠したかったのでしょうか。


忌部氏は黒潮に乗って

千葉は房総にも広がり、

そこは、「安房(あわ)」の

国となっています。


阿波、すなわち徳島に行ったなら

鳴門の渦潮や大塚国際美術館も

魅力的ですが、

それ以外にも

重要文化財の三木家や

忌部神社をはじめとする

式内社の数々、

調査が進んでいるのか謎の

古墳群などなど

興味深いものにたくさん出会えそう。


阿波に関しての伝説も、

まだまだありそうです。