ある年齢以上の方なら記憶にあるはず。


「遅刻の理由は?」って
先生や上司に聞かれたら、
「ウィッキーさんに会っちゃって!」
って言えば叱られないよ!
…なんてね。

朝の人気番組、「ズームイン朝」の
名物コーナー、
アントン・ウィッキーさんが
道行く人に英語で話しかけるという
あの企画。
うまく話せなかったり
逃げちゃう人を見ると
笑いながらも、自分も逃げちゃうかも、
なんて思ったり、
逆に流暢に話す人を見ると、
なんだか面白くなかったり。

しばらく前に、安住アナウンサーが
ウィッキーネタを使ったところ、
若いタレントに通じなかったことから
(そりゃそうだ)
久々に話題になりました。

そのウィッキーさん、
まだまだバリバリ元気で
88歳の今でも現役英語講師を
務めています。

目黒や蒲田、二子玉川など
都内各地で朝から夜まで
週7日、働いているのです。

生徒の方には
「ワタシはもう88歳、
来週には会えないかもしれないよ!」と
伝えているとのことですが…。

ウィッキーさんはスリランカ生まれ。
日本に留学して最初は医師を志したものの、
血を見てひっくり返ってしまい、
医師の道は断念。
それでも海洋生物学の博士を取り、
大学教授の仕事もしていました。

テレビの英語は、アルバイトで
教えていた生徒のツテで声がかかり、
当時新婚でお金もなかったので
始めたところ、思わぬ人気が出てしまったそう。

彼を見て逃げたくなる気持ちも
わかりますが、一方で
英語できるようになりたいな、ど
思わせてくれた功績は大きいでしょう。

日本にやってきた最初の英語講師は
ラナルド・マクドナルド。
(2023年7月にお届けしています)

やってきたのは、幕末。
彼は呼ばれたわけではなく、
日本に行ってみたくて
意図して漂流民となり、
めでたく長崎に送られて
英語に苦労していた長崎の通訳たちに
正しい英語の発音を伝え、
彼の教え子はやがてペリーの通訳として
その語学力でアメリカを驚かせる
ことになるのです。

明治になり、選ばれしエリート層は
英語を習得することになりますが、
一般庶民も広く学べるように
なったのは、
100年前、1925年のラジオ放送開始から。

ラジオ放送が始まった年の
7月20日にラヂオ英語講座が
スタートしています。

始めの先生は岡倉由三郎。
あの、日本美術の価値を見いだした
岡倉天心の弟君です。

テキストも発売され、
多くの人々が学べるようになりましたが、
戦争で中断。

再びラジオで英語が学べるように
なったのは1946年。
平川唯一氏の「カムカム英語」です。

日本経済が復興し、
日本企業の海外進出が盛んに
なり始めた頃に
英語力の検定試験が提唱され、
1963年に英語検定、
1979年にTOEICが始まりました。

ラジオでもテレビでもネットでも、
いくらでも英語は
お金をかけずに学べるように
なったのに、
それでもなかなか習得は楽では
ありません。

都内に来たら、
いまだ健在なウィッキーさんに
ばったり会ってしまうかも。

その時は逃げないで
お話できると、いいな…。