※本日の内容は、大河ドラマ
「光る君へ」のネタバレを含みます、
ご了承くださいませ。

 


 ※   ※    ※ 


 今期の大河の雅な方々、

 それを演じる役者さんたちも 

なんて美しい人たち、と
思います。 


 この方もそう、

 実際の御方はどうだったか

 知る由もなくありませんが、

 竜星涼さん演じる「藤原隆家」。


 道長の甥であり、 

ライバルにもなります。


 道長の長兄、道隆の息子であり、

 清少納言が仕えた

 中宮定子様の弟君にあたります。


 道長の兄道隆は

 父の跡を継いで関白となり、

 権力を一手に握って
一族は繁栄。 

 娘は入内し、

 息子の伊周、隆家も
出世させます。


 しかーし。 

大酒飲みがたたって
糖尿病か肝硬変か、


亡くなります。


 権力は一気に道長の手に
移ります。

 そうはさせじと伊周、隆家。

 この隆家、武官でもあり、

 ドラマでもそうでしたが、 

かなりやんちゃで勢いのある方 

だったようです。


 中宮定子は一条天皇の

最愛の
存在であり、

 まだまだ我らも…、というところ
でしたが、

 いろいろやらかしてくれます。


 まず、道長の従者と隆家の従者が
揉めて、

道長の従者は
殺されてしまいます。


 さらに、隆家は先の天皇、

 花山法皇に矢を射掛けるという 

事件を起こしてしまいます。


 これは、兄伊周がある女性のもとに

 通っていたのですが、

 どうも出家した花山法皇も 

同じ家に通っているらしい、と

 伊周は悩んで弟に相談したのです。


 本当は伊周は妹、 

 法皇は姉のもとに通っていたので

 誤解だったのですが、

 隆家やっちまった。 


 法皇としても体裁が悪いので 

 黙っていたのですが、

 道長にバレちゃった。 


 法皇にそんなことするとは
不敬である、


伊周は大宰府に流され、 

隆家は出雲に流されることに。

 ただ、隆家は出雲(島根)まで行くのめんど、


病気なんですう、と言って

 但馬(兵庫)でぶらぶらしていたそう。 


  しばらくして恩赦により
都に戻ります。

 しかし、姉定子も兄伊周も
亡くなります。


 姉定子の忘れ形見の親王を
帝位につけたい、


画策しますが、

失敗に終わります。 


 そんな隆家ですが、 

武芸に秀で、家柄もよし、 

さらに権力者である
道長にも

臆さないところから

 人気は高かったとのこと。


 道長もそんな隆家を警戒しながらも

 人間的には嫌いではなかったそう。


 ロバート秋山演じる 

藤原実資にも気に入られて
いたようですし、

 清少納言との楽しいやり取りも

 残されています。 


 その後隆家は眼病を患い、

 名医がいるという大宰府に 

自ら行きたいと言い出します。 


 道長はこいつを九州にやったら 

自分に歯向かう勢力を作るかも、

 と警戒してなかなかうんと
言いませんが、 

天皇の後押しもあって
実現します。


 大宰府に赴任すると
願い通り眼病も治り、

 その地での施政も高く評価されます。 


 そこに大事件…!!


 日本史において、
他国が侵攻してきた、

というのは
鎌倉時代の元寇ばかり 

取り上げられています。 


 ですが、その前にこの平安時代にも
起こったのが
「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」です。

 「刀伊(とい)」とは、 

朝鮮の人々が東の夷狄、

野蛮人として
呼んでいた東夷、のことでしたが、

 この時の
刀伊、とは北方の民族、

 女真族の海賊集団だったのです。 


 ちなみに女真族とは
後に清を建国して

 
中国を繁栄させた民族です。 

 ラストエンペラー溥儀とか 

キン肉マンのラーメンマンが
思い浮かぶかも。


 とにかくその刀伊の集団が 

突如、壱岐対馬を襲い、
老人や子どもを殺し、

 成人は拉致され、家は焼かれ、 

家畜は食われる…という
惨状に。


 大宰権帥、隆家立ち上がる。 

謎の軍団を前に九州の豪族たちを
まとめ上げ、

 半月に渡る攻防の末、 

彼らを撃退した。 

(このときも神風が吹いたらしい) 


 364人が殺され、
1300人の島民が拉致され、

 そのうち朝鮮の手助けで 

300人だけ戻ってくることが
できたという。


 隆家らが必死に戦っている時に、 

道長はちょうどあの有名な

望月や〜 欠けたることもなしと思えば」


絶頂やねんの歌を詠んでいるし、

 隆家から報告を受けても
へー。 

帰ったなら別にほうびとか
いらないよね。

 と。ほったらかし。 


 朝廷は島民の帰還に

協力してくれた
朝鮮(高麗)に対しても 

日本を狙ってる?と
怪しむばかりで、


 隆家が使者に対して 

私費で篤くもてなして 

礼を尽くしたといいます。
  


当然朝廷から隆家に対しても
何もなし。


 一度都に戻った隆家でしたが、 

再び大宰府に赴任し、 

66歳まで生きるのです。


 九州での隆家の人気はすさまじく、

 今でも隆家の子孫を名乗る方々が

 いるとかいないとか。 


 このあたりは道長、 

危機管理能力ゼロの印象ですが、 

さてどう描かれるやら。