幕末。

貿易のため
開港を迫られた幕府は
江戸に一番近い港として、
神奈川宿に近い小さな漁村、
横浜を開いた。

何もなかった横浜に、
外国人がやってきて、
船は来る、鉄道は敷かれる、

そこはたちまち日本の最先端の
場所となった。

手の込んだ日本の工芸品が
次々と輸出されていった。

ほとんど輸出用だったため、
国内には知られていない 
超絶技巧の工芸品が、
この時代数多く作られている。

まずは、横浜眞葛焼(まくずやき)。




京都生まれの宮川香山なる人物が
その才能ゆえに薩摩藩に招かれるも
家老の死で頓挫、
横浜の豪商に招かれて
やってくる。

華麗な陶磁器にさらに驚くような 
立体的意匠を施した
香山の作品は、
海外の人々に絶賛され、
数々の博覧会でも
賞をもらっている。

海外では評価が高かったこともあり、
今でも偽物が出回るほどだそうだが、
窯元は途絶え、
現在は作られていない。

次に、横浜芝山漆器。
これはもとは千葉の芝山から
発祥したもの。



漆器に白蝶貝、夜光貝、
象牙に亀甲、蒔絵をほどこした
華やかなもので、
こちらも海外で大人気を得たもの。

戦後も在日米軍の土産物として
人気があったようで、
今でも職人はいるものの、
かつてのような大型の作品は
作れなくなっているとのこと。

そして、横浜彫刻家具。
1890年代から1930年代まで
輸出用の和洋折衷家具として
作られていたもの。



いまもてはやされている
イギリスのロイズアンティーク、
これは1930年代以降の作品が
多いが、

デザインを見ると、
かなり横浜彫刻家具の影響を
受けているのでは、
相当似てるんですけど。

印象派もそうだけれど、
ステキー、と見上げていた
西洋の芸術が、 
実は日本の影響を多大に
受けていたことって、
あるあるだったりする。

もっと自分たちの文化や
出自に関心を持つべきかも
しれない。

最後に、横浜スカーフ。



開港後、日本の輸出品の中心は、生糸。

日本産の良質な絹は
世界市場を席巻していた。

その豊かな絹を使った 
工芸品を、というところから
横浜スカーフは生まれた。

はじめは無地から、
やがて浮世絵の技法を使った
染色が始まり、
昭和に入ってスクリーンによる
染が行われるように。

戦後、輸出は激減したものの、
高度経済成長時には
どのブランドのスカーフも
横浜で生産され、
デパートの店頭を飾ったという。

現在では生産量は減っているものの、
日本の技術を駆使した
美しい染のスカーフに、
オリエンタルな柄の数々。

有名ブランドのスカーフも
素敵だけれど、
150年以上も職人の技を
伝え続けてきた、
横浜スカーフもいかがだろう。

江戸から明治への大転換期に、
生き抜こうとしていた
職人や、商人たちの
息遣いが感じられそうな
数多くの工芸品。

どこかで見かけたら、
そこにかつての潮の香りを
感じられるのかも。