知っていますよ。
ブランデーの名前にもなってるし。



3時間しか寝なかったとか、
余の辞書に不可能はないって
言ったとか、
いろんな説話がある、
フランスの皇帝ですよね。

いや…、すんません、
いつ頃の人とか何したとか
詳しいことはちょっとね…。

知ってるけどなんだか曖昧。

ナポレオンは、こんな人。
世界の歴史を変えたことは
間違いない。

彼が活躍していたのは、
日本では江戸時代後期。

来年の大河ドラマの主役、
蔦屋重三郎が浮世絵文化を
花開かせていたその頃。
ナポレオンの少し前に生まれ、
彼よりもずっと長生きしたのは、
葛飾北斎。

フランスの英雄ナポレオン、
彼が生まれたのは、
イタリアのジェノバ共和国の
領土だったコルシカ島。

ジェノバからフランスに
譲り受けられた、
つまり本来ならば彼はイタリア人。

父はコルシカの貴族であったため、
そのままフランス貴族となり、
ナポレオンは、
貴族でなければ入れない、
フランスの士官学校に入学する。

その前の兵学校では、
出身が元イタリアの田舎で  
貴族としての地位も低く、
内向的なナポレオンは
まわりからも軽く扱われていたという。

16歳で士官学校に入学すると、
当時は下級兵士の仕事として
人気のなかった砲学科に入る。

数学に抜群の能力を持ち、
思想や歴史、地理を学んでいた彼は
そこで才能を発揮して
4年の過程をわずか11 ヶ月で修了し、
士官デビューする。

さて、この頃フランスでは
フランス革命が勃発していた。

フランス革命とは、
きゃあアントワネットが
首切られちゃった、
これからは自由平等博愛ね、バンザイ。

などという簡単なものではなく、
さあその後が大変。

実権は王から、国民へ。
議会は分裂する、
ロベスピエール(ベルばら愛読者には有名!)が
独裁して恐怖政治を行う、

独裁はダメだわ、
5人で決める、決まらない、
やはりもうちょっと人数を絞ろう、

となるとやはり絶対君主必要?
ただやっぱり独裁は不満溜まる、
共和制にしようよ、
え、良くない、王様必要…。

とまあ、政治体制がころころころころ
変わって国の中は落ち着かず、 
ある意味、
社会主義を除く
あらゆる政治体制を実践して
くれたところともいえるのである。

さて、しかしナポレオンが
出てきた頃は
ルイ16世が処刑され、

ロベスピエールの恐怖政治中。

ナポレオンは一時ロベスピエール派として
投獄されたりもするものの、
その後の5人体制に力を
持ったバラスに抜擢され、
荒れるパリの街の市民に対して
得意の大砲を使っておとなしくさせる。

この頃、バラスの愛人だった
6歳年上のジョゼフィーヌに惚れ込み、
彼女と結婚する。

そして、フランスの外では
アントワネットの実家
オーストリアを中心に、
対仏大同盟が結ばれていた。

王様が殺されて平民が 
政権を握るなんてとんでもない、
そんな危ないのをうちの国に
波及させないでくれ。

そこにナポレオン登場。
抜群の戦闘センスと大砲を扱う
圧倒的能力で、イタリア遠征に
大勝利、
対仏大同盟を破る。

次に、最大の敵イギリスを 
なんとかしたい。
イギリスを潰すには
植民地インドとのつながりを
断ち切りたい、
途中にあるエジプトを制圧しよう。

これはしかし、
ナポレオンが軍隊を率いている間に
フランス海軍がイギリス軍に敗れ、
ナポレオンは帰国する。

このときに調査隊を連れていき、
シャンポリオンが
ロゼッタストーンを発見、
解読している。

祖国フランスの政情はまたもや不安定。

ナポレオンはブリュメール18日の
クーデター、と呼ばれる反乱を起こし
ここでフランス革命は
終わったとみなされている。

ナポレオンは国を率いる
統領のひとりとなり、
政治改革をすすめる。

フランス銀行設立、行政、司法制度改革、
ナポレオン法典の制定、
(私有財産の不可侵、法の前の平等など)

国民の中のナポレオン人気は
絶頂に達し、
国民投票が行われ、
圧倒的多数の支持により、
ナポレオンは
皇帝に就任する。

国民に選ばれし独裁者となった
ナポレオンに対し、
周辺諸国はまたもや対仏大同盟結成。

ナポレオンは周囲と戦う道に進む。

革命を経てナポレオンの手により
近代軍となったフランス軍に、
旧態依然の他国は対抗できなかった。

しかし、トラファルガー海戦で
ネルトン提督率いる
イギリス海軍に敗れ、
イギリスとは敵対関係が続く。

まずは大陸支配、と
アウステルリッツの戦いで
ロシア・オーストリア軍を撃破、
ドイツも配下に収め、
ヨーロッパ大陸は彼の支配下に。

プライベートにおけるナポレオンは
ジョゼフィーヌを深く愛するものの
遠征中の彼女の浮気を知ったり、
子どもを得られなかったこともあり、
離婚を決意する。

ナポレオン自身も何人もの
愛人を持ち、
子どもも得ている。

後に甥のナポレオン3世の
側近になった者もいるし、
ジョゼフィーヌの息子も
ナポレオンの養子として
輝かしく生きている。

身分の高い皇女との結婚を
望んだナポレオンは、
ハプスブルク家のマリー・ルイーズと 
再婚、
彼女との間に息子ナポレオン2世を
設けているが、彼は21歳という若さで
亡くなっている。

離婚したジョゼフィーヌは、
経済的安定を得て、
サロンの主として多くの人々と交流し、
時にはナポレオンの若き愛人とも
仲良くなり、
長生きはしなかったものの、
優雅に生活を営んでいる。

すべてを手に入れたような
ナポレオンだが、
強敵イギリスをなんとかしたい。

イギリスを孤立させよう、と
「大陸封鎖令」を出す。
イギリスと貿易したら許さない、と
いうものである。

とはいえ、産業革命を成功させた
イギリスとの貿易ができないのは
各国にとって辛い。

大陸封鎖令を破って
イギリスと貿易をしていたのは、
ロシア。

ナポレオンは61万人の軍をもって
モスクワ遠征を行う。

ロシアは広く、寒く、手強い。

ロシア軍はまず、逃げる。
広い国土の中へ中へ逃げ込む。
その時に、すべての町を村を焼き払い、
フランス軍は食べ物も何も
手に入れることができない。

それでも、ロシア軍を追う。

食糧が尽き、弱ったフランス軍、
そこに厳しいロシアの冬がやってくる。

そして、ロシア軍の反撃。

61 万人のフランス軍で、
帰れたのはたったの5000人。
1%以下の生存率、大敗北。

ドイツ軍にも敗れ、
ナポレオンは皇帝の座を追われ、
地中海のエルバ島に流される。

(この間にジョゼフィーヌ死亡)

フランスはまたもや混乱に、
やはりナポレオンが必要だ!

彼はエルバ島を脱出し、
20万人の兵を率いて
皇帝に復活する。

しかし、ナポレオンの復活を
ヨーロッパは許さない。

ワーテルローの戦いで
イギリス軍に敗れ、
2度目の帝位は95日で終わり、
ナポレオンの百日天下、と
呼ばれている。

ナポレオンを恐れる
ヨーロッパは、
はるかかなた、アフリカの絶海の孤島、
セント・ヘレナ島に
ナポレオンを幽閉する。

そして、6年後にナポレオンは
亡くなる。

革命の生んだ寵児として
ヨーロッパの国境を消したナポレオン、
彼の影響は長く残り、
英雄ナポレオンを慕う人々は、
いまも少なくない。

パリのシンボルのひとつ、
凱旋門。

凱旋門とは、戦いに勝利した
指揮官が凱旋の記念に建てるもので、

パリの凱旋門は、
ナポレオンが、ロシア・オーストリア軍を
破った
アウステルリッツの戦いの勝利の
記念として、
ナポレオンが建てたものである。