その人は、いつもそこにいてくれました。
にこにこ笑って、相棒のゴン太くんと
楽しそうに工作をして、
毎日を楽しくする魔法を
かけてくれました。

ひとこともしゃべらずに。

ノッポさん、と呼ばれたその人は
子どもたちから愛されて
20年間、できるかな、を
支えてくれました。

ノッポさんの芸名は、高見のっぽ。

のっぽさんはのっぽさんで
よいのですが、
どんな方だったのでしょうか。

父親は奇術一座の奇術師で、
母親は相撲茶屋の看板娘。

国技館で出会ったふたりは
反対を押し切って駆け落ちしますが、

後に伯母一家が経営していた
工場を手伝うことになって
東京に戻ります。

子どもの頃から
多くの本を読みつつも
芸人でもあった父の影響で
パントマイムやタップダンスも
身につけます。

24歳のときに初舞台、
好評だったものの、
その後の仕事はほとんどなく、
年収は10万円程度の日々が
続きます。

もう自分はやっていけないかも、と
思っていた時に、
「君にぴったりの仕事がある」
と、打診されたのが

新しく始まるこども番組
「できるかな」。

パントマイムを通しての
自然な動き、
長身の飄々とした動き、
おじさんでもお兄さんでもない
「ノッポさん」は
「小さい人」たちの心を
つかんでいきました。

のっぽさんはなぜ
小さい人(子どものことを子どもと呼ばず、
こう呼びます)の
心をつかめるのでしょうか。

「小さい人たちには
ひとりの人間として
対等に、丁寧に、
敬意をもって接します。

お世辞やおべんちゃらなんて
言わない、嘘もつかない。

褒める時は心から褒め、
怒るときは全身全霊で怒ります。

誰だって小さい人だった、
それを思い出せばいいだけなんですよ。

小さい人というのは、
実にいろいろなことを
わかっているのです。

大人よりも、ずっとずっと
賢いのです。」

自分が子どものころにされた
悲しかったこと、悔しかったこと、
嬉しかったこと、
その時の大きい人たちが
どんな人たちだったのか、

思い出せばいい。

小さい人たちは、
本当は全部わかっているのです。

できるかな、の最終回に
ノッポさんは、初めて自ら
語りかけました。

「ああ、喋っちゃった…」

大変な衝撃を受けた人が
多かったようで、
そのあと、のっぽさんに
出会った途端泣き出す人も
いたそうで。

「できるかな」を卒業したあとは
高見映、の名前で
絵本や児童文学を出し、
演出をし、
小さい人の心をつかむひととして
保育現場を中心に
多くの講演も依頼されて。

歌手としてもデビュー。

のっぽさんはノッポさんとして、
存在し続けました。

工作の番組だったけれど、
実は不器用で
セロテープの使い方がとても
下手だったそう。

80歳を過ぎても
体型は変わらず、
道で小さい人と出会うと、
タップダンスを披露してくれたり。

そんなのっぽさんでしたが、
2022年に、88歳で心不全で死去。

人間というのは、寿命がくれば
逝くのは当然だから、
自分のことでまわりのみなさんを
悲しませたり、
大切な時間を邪魔したくない。

との本人の意志で、
半年以上その死は伏せられました。

「笑顔って、
誰かと仲良くなるための
“あいさつ“なんです。

人間は決してひとりでは
生きていけません。

だから、大きくなるにつれて、
知らない人たちの中に
入れてもらわなければならない。

その時に大切なのは、
にっこり笑って
相手に好意と共感を示すこと。」

「心が沈んでいても、
仲間の前では心配をかけぬよう、
できるだけ笑っていることも
大切。

でも、ひとりになったときまで
無理して笑うことはありません。

本当に苦しいときは
あえて仲間の輪に加わらず、
ひとりで自分の心と
向き合うことも必要です。」

「新しいことを
始めたいと思ったら、
何歳になっても遅くはない。

若い時であれば、
なおさらチャレンジあるのみ。」