観覧車、最近乗りましたか。
誰でも知っていて、
ほとんどの人が乗ったことがあって、
でも最後に乗ったのは
いつだったかな。

そんな思いにとらわれる。

観覧車の思い出、という
アンケートによると、
ロマンチックなものもあれど、
ひたすら怖かった、
祖母との懐かしい思い出、
仲間と騒いだなあ、
なんか気まずかったんだよね…
夕日が印象的だった、
星が光っていたことだけは
覚えている…。

などなど、
人の分だけ思い出も
ありそうです。

観覧車の元は、
ロシア帝国やオスマン帝国に
木で作られた大きな鎖に
人が乗ったものを
人力で回す遊具があったことの
よう。

こんなの楽しいね、
くらいだったはずですが、
19世紀になり、
現在のような機械式の
巨大な観覧車が作られます。

きっかけは、
負けず嫌いなのか見栄なのかは
わかりませんが…。

1889年、大日本帝国憲法が
出された明治初期、
パリで万国博覧会が開催されました。

その時の目玉はエッフェル塔。

フランスの鉄鋼と建築の技術は
世界を圧倒しました。

負けたくない…。

唇を噛んだのは、
4年後の1893年に万国博覧会の
会場に決まっていた
シカゴを有する、アメリカ。

フランスに負ける訳にはいかない。
エッフェル塔をしのぐものを
作れるものはいないか。

そこに現れたのは技師、
ジョージ・ワシントン・
ゲイル・フェリス・ジュニア。

彼は観覧車を機械で動かす仕組みを
考え出し、
高さ75㍍、ゴンドラ36、しかも
それぞれのゴンドラには
40人の座席と20人の立ち席が
あり、
2160人が乗れるという
巨大な観覧車を
作り出したのです。

一周20分、
安全管理も図られた
この観覧車は
アメリカ合衆国政府の面目を
見事保ち、
人々を驚かせたのです。

国同士の威信争いは
このような平和的なもので
あってほしいものです。

彼の名を取って、
英語で観覧車は
フェリスホイールと呼ばれています。

日本にその観覧車が
やってきたのは、
10年後の1906年。

大阪天王寺公園にて、
日露戦争勝利祝のイベントが行われ、
そこに登場しました。

高さは30㍍ほどでしたが、
めまいを起こす人も出て
当時は絶叫マシンに相当するような
ものだったかもしれません。

観覧車、といえば
名探偵コナンやら
ガールズパンツァーやらの
映画で、転がっていくシーンが
印象的で、若い世代には
そんなイメージもあるのかも。

最初に映画で
観覧車を転がしたのは
スティーブン・スピルバーグ。
「1941」という映画で観覧車を
転がしています。

さすがにミニチュアで
撮影したようです。

昭和に入り、デパートの屋上で
観覧車も身近なものになり、

また各地にイルミネーションを
伴った大きな観覧車も
現れるようになりました。

そこに見ているのに、
久しく乗っていないなあ。

小さなかごに乗ってゆっくりゆっくり
頂上に向かう。
風景が変わる。

また、乗ってみようかな。
だんだん空がきれいになる、
そんな季節が近づいています。