現在アメリカでバービーと
同日公開され、
大ヒットしている映画である。
バービーとのコラボで、
「バーベンハイマー」と呼ばれ、
2つを合わせた画像が
日本での反発を受けて
公開元が謝罪に追い込まれたのは
記憶に新しいニュース。
オッペンハイマーは
「インソムニア」「インセプション」
「ダンケルク」「テネット」
などで有名な
クリストファー・ノーラン監督の
最新作で、
主人公は、
「原爆の父」と呼ばれる、
原子爆弾を作り出した
物理学者、
オッペンハイマーである。
ユダヤ系アメリカ人で
幼い頃から非常に優秀であり、
数学、化学、数カ国語をこなし、
ハーバード大学を3年で卒業、
ケンブリッジ大学、
ゲッティンゲン大学で
物理学を修める。
20世紀に入ってから、
アインシュタインらの出現で
原子物理学は急速に発展する。
政府の意図と予算があれば
科学は飛躍的に進む、と
いうのは、
アポロ計画だけではなく、
核兵器の登場にも
言えることである。
核分裂というものが
発見されたのは1938年、
そこからたった7年で
作り出されてしまったのだ。
核分裂を利用すれば
これまでにない
強力な爆弾が作れる、と分かり、
アインシュタインは
ルーズベルト大統領に
原子爆弾の製造を急ぐように進言。
それはナチス・ドイツに
先を越されないように、と
いう危惧からだった。
1942年8月、アメリカ政府は
原爆製造を決定、
マンハッタン計画と名付けられた。
それを率いたのが
オッペンハイマーだった。
オッペンハイマーのチームは
凄まじい早さで開発を進め、
わずか3年で原子爆弾を
完成させた。
ニューメキシコでの
トリニティ実験を経て
その威力に脅威を感じたものの、
戦争を終わらせる決定打になると
考えた政治家たちは、
1945年8月6日広島に、
8月9日長崎に投下する。
オッペンハイマーを
始めとする科学者たちは
恐ろしい兵器を見せることによって
戦争を無意味にしよう、と
考えたとされるが、
その考えは理解されなかった。
戦後、アインシュタインも、
オッペンハイマーも
核兵器の軍縮を呼びかける
こととなる。
それが原因となり、
オッペンハイマーは
終生政府の監視下に
おかれることとなる。
彼の人生がどのように
描かれているのかは、
まだよく分からない。
この映画がいつ公開されるかも
まだわかっていないが、
バーベンハイマー騒動から
推測できることがある。
日本人を蔑んでいる、という
見方もあったが、
それよりも、
アメリカの人々は
核兵器と普通の爆弾との違いが
全くわかっていないのでは
ないだろうか。
核兵器の何が恐ろしいのか、
知らないのでは
ないだろうか。
トリニティ実験において、
死の灰は全米46州及び
メキシコ、カナダ東部にも
降下したことが
プリンストン大学の研究で
判明している。
実験のその日のうちに、
東海岸のニューヨークにも
届いているのである。
そして、たった1度の実験のみならず、
ネバダ州の砂漠を中心に、
100回以上の核実験を
行っているのである。
もし本当に核兵器の恐ろしさを
知っていたら、
自国の領土内でそんなことを
するだろうか。
1950年代には、
「核兵器実験見学ツアー」が
大人気で万単位の人々が
砂漠に押し寄せ、
近くのプールサイドから
グラスを傾けながら、
笑いながら鑑賞していた。
アメリカの人々の
核実験についての意識は、
映画インディジョーンズの
クリスタル・スカルの1場面、
冷蔵庫に入って核爆発から
免れ、シャワーを浴びて
大丈夫、というシーンに
表されているのかも。
アメリカの大気圏核実験を
止めさせたのは、女性たち。
被爆を恐れた母親たちの声を受け、
科学者たちが、子どもたちの
乳歯を集めた。
乳歯にはストロンチウムが
蓄積されやすく、
集まった32 万本の乳歯からは、
ストロンチウムがそれまでの
30倍に増えていたことが
判明した。
そこから核実験をやめる
動きが広まっていくのだが、
どれほどの死の灰が降下したのかは、
不明だし、
アメリカ政府はそれを
公表することはなさそうである。
オッペンハイマーの映画の
説明には、
「伝記スリラー」と書かれている。
世界で、どう受け止められて
いるのだろうか。
スリラー、とはなんだろう。
原爆は、
作られたホラーでもなく
オカルトでもない。
純然たる「事実」なのである。