物議を醸していますが、
そこはおいといて。
各地でピンクのペンキ不足に
陥っていると噂され、
アメリカや中国で空前絶後の
大ヒットの映画と
なっています。
ワクワク、ハッピー、ホロリ、
などなど気分が盛り上がる要素が
たくさんあるようですが、
そもそもなぜバービーが
ここまで受け入れられるのでしょうか。
アメリカにおいて、
バービーは
ただの「人形」では
ないからです。
バービーのモットーは
「You Can Be Anything」
何にだってなれる。
バービーが生まれたのは
1958年。
ルース・ハンドラーという女性が
作り出しました。
子どもたちを見ていて、
息子は宇宙飛行士でも医者でも
プロスポーツ選手でも
何にでもなって遊べるのに、
娘は看護師か保育士、
母親だけ。
なぜ女の子は選択肢が
限られる?
女の子だって何にだってなれる、
そんな人形を作ろう。
初期のバービーを作っていたのは、
実は日本。
繊維産業が盛んで
人件費が安く、
人形と衣服の両方を
まとめて注文できるから。
作ったこともない、
見たこともない人形の製作を
打診され、
容赦ない高い要求が押し寄せる中、
日本のメーカーの人々は
苦労を重ねながらも
バービーを作り上げたのです。
当時にしては、値段が高く、
しかも一段低く見られていた
日本製のバービーでしたが、
大ヒットします。
バービーは、
まだまだ家の中に閉じ込められていた
女性たちに、
差別に苦しむ有色人種の人々に、
夢を与えます。
女性が自分の銀行口座さえ
開設することができなかった頃に、
自分で自分の家を買いました。
アポロが月に着陸する
4年も前に、
宇宙飛行士として
宇宙に行きました。
黒い肌のバービーが
生まれました。
キャンピングカーを乗りこなし、
アウトドアを楽しみました。
ヒスパニックの仲間が
出来ました。
企業のCEOに就任し、
ピンクのスーツで役員会議に出て
夜遊びも楽しみました。
有名ブランドがバービーのために
洋服をデザインしました。
大統領選にも出馬し、
執務室で仕事をする時には
赤いスーツが定番でした。
インスタグラムで
ファッションリーダーと
なりました。
子どもが直面する問題にも
正面から取り組んでいます。
何にだってなれる、
何だってできる。
それを体現してくれたのが
バービーだったのです。
少女たちの側にいる
バービーは、
社会のトップに立ち、
世界をリードすることができ、
人々の悩みに真摯に立ち向かい、
あくまで美しく格好いい。
性別も、肌の色も関係ない。
幼い時からのあこがれの存在。
さて、映画のバービーは
毎日晴れていてサーフィンや
パーティー三昧の日々から
リアル世界を知っていくようです。
大ヒットを受け、
来週から公開が決定しています。