ああ、暑い。
そんな時、冷たいカルピスを
出してくれたら嬉しいね!

きっと誰の中にもあるだろう、
夏のカルピスの思い出。




今日はカルピスの日。

1919年7月7日に発売されました.。
100年以上もわたしたちの
喉を潤してきて
くれたわけです。

カルピスを作り出したのは、
大阪府箕面市の寺に生まれた
三島海雲氏。

龍谷大在学時に勧められ、
中国に渡り、
教師をしながら雑貨商の
事業も行います。

仕事で内モンゴルに
行ったときに
現地の遊牧民に
酸味のある乳を勧められ、

それを飲んでいたら、
疲れていた胃腸の調子がよくなり、
頭も身体もスッキリしてきました。

これはすごい、と
モンゴルでその酸乳の
作り方を習い、
やがて帰国します。

当時日本では、
ヨーグルトが流行っていましたが、
あんまり美味しくない…。

美味しくて身体によいものを、と
あの時の酸乳の
作り方をもとに研究を進めます。

乳酸菌を研究する海雲が
偶然発見した菌から、
飲料が作られます。

カルシウムから、カル、
サンスクリット語で
熟酥味
(牛乳の生成過程でできる
第4のもの。美味しい、の醍醐の手前)
を意味するサルピス、から

合わせてカルピスと名付けられます。

なぜ4番目なのか、ですが、
5番目の醍醐味の言葉は
ゴロが悪かったようです。

カルピスはじわじわと
広まっていきます。

三島海雲の信条は、
「国利民福」、

国家の利益となり
人々の幸福につながる事業を
起こすこと。

海雲は、常に人の意見に耳を傾け、
正直で熱心、
そんな彼の人徳に惹かれて
多くの人々が彼と
交流を持ったといいます。

ジャーナリスト、学者、
政治家、宗教家、実業家と
交際は多岐に渡っています。

事業家としても
広告は商品を売り込むのではなく、
企業のイメージを
人々の心のなかに送り込むことだ、
と理解していました。

カルピスは初恋の味、という
キャッチフレーズは
海雲の後輩から
提案されますが、

海雲はとんでもない!と断ります。

しかし、諦めない後輩。
初恋とは清純で美しい、
人々に夢と希望と憧れをもたせる。

子どもに初恋の味ってなんだと
聞かれたら、
カルピスの味って言えばいい。

海雲納得。

最初は世の中で賛否両論でしたが、
やがて広まっていきます。

(カルピスの黒人マークは 
ポスターデザインに応募した
フランス人アーティストのもので、
1990年まで長く使われて
来ましたが、
差別とされて変えられています。)
 
カルピスが大衆の味と
なりつつあった大正12年、
関東大震災が起こります。

山の手のカルピスには
被害は少なく、
原液もあり、水も出ました。

「配るぞ」

海雲の一言でトラックを
チャーターし、有り金をはたいて 
震災の翌日から
氷も入れた冷たいカルピスを
配って回りました。

どこにいっても
カルピスキャラバン隊は
大人気。

震災と火事のあとで
弱っていた人々に
一杯の冷たいカルピスは
沁みわたったことでしょう。

カルピスはカルピス菌が
なくなったら、終わり。

戦争中はカルピス菌が
疎開したとも言われています。

戦後、カルピスの人気は 
高く、
贈答用にも大人気。

しかし、他の缶入りや
ペットボトル飲料が
登場し、
希釈用カルピス一本の
カルピス食品工業の
経営は厳しくなっていきます。

若手社員の、
そのまま飲めるカルピスを、
の声にも
希釈用が売れなくなる、と
経営陣は聞く耳を持ちません。

味の素に資本参加してもらい、
ここでようやく
「カルピスウォーター」発売、
大ヒットとなります。

その後も健康的であると
イメージを刷新し、
大人の需要も取り込み、

アサヒグループの傘下となり、
今に至っています。

三島海雲は、
カルピス絶頂期の
1974年に他界、

全財産を「三島海雲記念財団」に
投じ、
人文科学研究を
支えています。

自分は一粒の麦でありたい。

「私心を離れよ、
そして大志を持て。」

そう語った海雲が
国民の健康を祈って
作り上げたカルピス、

今日で104年め。

これからも美味しいカルピス、
頂きます。
ありがとう。