世界の演劇を変えた、
ウイリアム・シェイクスピア。
その作品はあまねく知れ渡り、
リア王、ハムレット、オセロ、
マクベス、真夏の夜の夢、
ベニスの商人、ロミオとジュリエット、
などなど、あげれば
きりがありません。
シェイクスピアの概要や名台詞に
ついては、
以前に取り上げたことがありますが、
そもそも
ストラトフォード出身の
ウイリアム・シェイクスピアが
至極の戯曲の数々を
本当に書いたのか?に
ついては、
ずっと論争がなされています。
そして、決定的な証拠も
ないので、
決着はついていないし、
これからも
着くかどうかはわかりません。
シェイクスピアは別人である、
もしくは
複数人による創作であり、
ウィリアム・シェイクスピアは、
名前を貸していたに
過ぎないという説を
指示する人々を反ストラトフォード派、
従来どおりシェイクスピア自身が
作品群を書いたとする人々を
ストラトフォード派と呼びます。
反ストラトフォード派には、
マーク・トウェイン、フロイト、
アインシュタインなどなど
そうそうたる人々が
名を連ねています。
イギリス中部の美しい街、
ストラトフォード・アポン・エイボンに
生まれたシェイクスピア。
1564年、日本では戦国時代に
当たる年の生まれです。
学校を卒業してから
8歳年上のアン・ハサウェイと
18歳で結婚し、
20歳のときには3人のパパ。
7年後にはロンドンで
作家として活躍していて、
役者としても
劇団の株主としても
存在を示していて
やがて故郷に帰り、
52歳で没しています。
この人物がすべての作品を
書いたとは信じがたい…と
思われているわけです。
まず、シェイクスピアの家族は
この時代珍しくもなかったものの、
娘も含めて文盲でした。
それなのに、シェイクスピアの
作品群の語彙は
平均的イギリス人の6倍に達し、
1700もの新しい言葉すら
作り出しています。
経歴が謎の青年が
法律、音楽、哲学、軍事、
宮廷生活など
多くの専門知識がないと
書けない内容も
なぜ書けたのでしょう。
彼自身は一歩もイギリスから
出たことはないのに、
フランスやイタリアなど
他国についての記載も
豊富で、しかも違和感もない。
シェイクスピアのサインと
されるものは
いくつもパターンもあり、
これはグループだからでは?
などなど、疑惑は盛りだくさん。
ただ、謎が解明しない理由は
「シェイクスピアは一切の
私文書を残していないこと」
なのです。
日記はもとより、
手紙の一通すら無い。
他人がシェイクスピアに宛てた
手紙や
彼に関する記述すら無い。
この時代よくあることだ、
シェイクスピアはカトリックで
あったため、
自分のプライベートを
隠さなければならなかった、
など
ストラトフォード派は
主張しますが。
作品をあれだけ書いている人間が、
他に一枚も書いてないのは
おかしいのではないでしょうか…。
というのが、
疑惑の反ストラトフォード派。
では誰がシェイクスピア、
なのでしょうか。
反ストラトフォード派によると、
本当のシェイクスピア作品の
書き手の候補は、
哲学者フランシス・ベーコン、
第17代オックスフォード伯爵、
劇作家で詩人の
クリストファーマーロウなど。
彼らには自分が書いたと
知られるとまずい事情があり、
シェイクスピアを
偽作家に仕立て上げた説。
もしくは複数人のグループ。
調べる方法はいくつか
あるかもしれない。
しかし、墓を暴いてはならない、と
わざわざ言い残した
シェイクスピア。
(土葬なので、掘り起こして
DNA鑑定などが、可能です。)
さてさて、真実はいかに。