かつて秋になると、
川は鮭で溢れかえった。
捕っても捕っても
捕り尽くせないだろうとは
思ったけれど、
アイヌの人々は、
゛カムイチェプ=神の魚゛
゛シペ=本当の食べ物゛
鮭は神が姿を変えて
人間のもとにやって来て
くれたもの、
と呼んで大切にし、
必要なときに
必要な分だけ捕り、
捕ったものは
食べられるところは
すべて食べ、
皮を靴などに加工し、
余すところなく
役立てた。
カムイへの感謝と
敬いを忘れることなく、
川を汚したり
根絶やしにするような
漁法も禁じていた。
独占することもしなかった。
根室の果て、野付半島には
アイヌのコタン跡のみならず、
縄文時代の竪穴住居も
見受けられる。
一万年以上も前から、
海を道として
交易もされていた。
鮭は、昆布を入れて
塩味で煮た「オハウ」
頭やエラなどを
細かくたたいた
「チタタプ」と
いった料理にして、
神からの贈り物である
鮭の命を頂く。
イサパキクニという
棒で鮭の頭を叩くと、
鮭の魂はこの棒を
受け取り、
再びカムイのもとへ
帰っていったという。
カムイも、自分たちも、
自然の一部として
生きていたアイヌの暮らしは、
江戸時代になって
やってきた和人たちに
脅かされる。
鮭の多さと質の良さに
驚いた彼らは、
幕府に献上し、
利益を得るために
捕れるだけ
捕るようになる。
鮭を求める和人と、
ラッコの毛皮が欲しい
ロシア人たちが、
根室沖で衝突する。
そして、
アイヌの暮らしは壊されてゆく。
明治に入ると、
鮭は枯渇し、
人々は昆布やシマエビを
とったり、
酪農を始めたりする。
鮭が再び戻ってきたのは、
人工孵化が軌道に乗った
昭和後半になってから。
鮭は、全国の人々が
気軽に食べられるように
なっていった。
鮭が全くない魚売り場は
ないだろう。
それも、切り身になったもの。
鮭という、凛々しい姿の魚を、
アイヌたちが神の魚と
崇めたその姿を、
北の大地の生態系を
支えたその姿を、
思い起こして
カムイの命がそこにある、
と感じたい。
鮭、という文字から
11月11日は、
鮭の日。