98年前の今日、関東大震災が
起きました。
その2週間後、ひっそりと
世を去ったのが、
外国生まれの落語家、
快楽亭ブラック。
(過激な発言で有名な
2代目快楽亭ブラックとの
関わりはありません)
スコットランド人ですが、
オーストラリア生まれの
本名 ヘンリー・ジェームス・
ブラック。
幕末の開港まもない頃、
父親は軍隊を退役したあと
歌手として各地をまわり、
日本にやって来ます。
歌手(テノール歌手)としても
人気があったようです。
その後、日本の情報を発信すべく
ジャパンへラルド紙などを
発行し、
名の知れたジャーナリストと
なって、西郷隆盛、板垣退助、
江藤新平らとも
繋がりがありました。
父親のエンターテイナーと
しての資質を受け継いだのか、
ブラックは、まずは
手品師としてデビューします。
あらゆる階層の使う
日本語をマスターしたと
言われるブラック、
次は講談師となる。
出自を生かして
チャールズ一世伝、
ジャンヌ・ダルク伝などを
語る。
政治演説
(徴兵制反対、
自由民権運動など)や
軍談
(軍記物をおもしろく読み聞かせる)
もこなし、大人気。
しかし…
日本で、芸人?なんて
低俗な❗️
と家族の怒りをかって、
活動中止。
英語学校を開いて
大人しく先生を
して、翻訳を出版したり
します。
↑ この翻訳、語尾が
「~でござりやす」
だの、例文が
「団十郎が一番素晴らしい」
だの、なんだか怪しい。
結局英語教師は一年で
おしまい。
三遊派のメンバーになって
「真打 落語家 快楽亭ブラック」
と名乗る。
結婚して帰化する。
(数年で離婚しましたが)
活躍はさらに広がり、
・催眠術師
・歌舞伎に出演
・ディケンズの作品を
日本の人情落語にアレンジ
・落語をレコーディング
(仲間の落語のレコーディングプロデュースも)
日本初の平円盤レコードを
発売できたのは
彼のおかげです。
ロンドンの会社との間を
取り持つことが
出来たからでした。
様々な活躍をしたブラックでしたが、
時代の変化とともに
人気には翳りが出、
家族には最後まで理解されず、
ひっそりとその生涯を
閉じました。
横浜の外国人墓地に
両親や妹とともに
眠っています。
忘れられた存在となって
いますが、
明治から大正の活気ある
世の中で、
日本語を巧みに操り
落語も講談も芝居も
こなしたブラック、
さぞかし多くの日本人を
楽しませてくれたのでしょう。
(美味しんぼに出てくる
快楽亭ブラックと
名前が同じなので、
漫画の方は彼へのオマージュなのかも?)


