(この話については
説教・歌舞伎・浄瑠璃、
各地に残る伝説など
かなり幅があるのですが、
熊野本宮が出している説+
もう少し幅を加えたものに
致します。)

時は室町時代初期。

毘沙門天の申し子と
言われた小栗、
乱暴者で、親の意に沿わず、
大蛇と契って
それがもとで常陸の国へと
流される。

そこでも力を発揮し
仲間を作って勢力を
得るのです。

そんな小栗、武蔵・相模の
群代、
横山家の娘照手と
出会い、恋に落ちます。

しかし、照手の父は二人の
関係を許さない。

小栗を殺そうと、まずは
人喰いの暴れ馬を差し向ける
ものの、小栗はそれを
乗りこなしてしまう。

そこで、宴会に呼び、
小栗と家臣10人を毒殺し、
小栗は土葬、家臣は火葬に
されてしまう。

照手に関しても始末しようと
するものの、
彼女は逃げ延びて流浪の身となる。

地獄に落ちた小栗、
閻魔大王の計らいと
家臣たちの嘆願により、
餓鬼阿弥の姿となって
現世に甦ります。

哀れな姿の小栗、通りかかった
高僧に助けられ
木の車に乗せられて
熊野の湯の峯を目指します。

首に
「一引き引いたは千僧供養、
二引き引いたは万僧供養」
と札を下げて。

遊女宿の下働きを
していた照手 
(遊女になることを拒んでのこと)

それを見て、夫の供養にと
三日間の休暇を得て
狂女の振りをして
(美しいので危ない目に合わないように)
車を引き、戻ります。




その後も心ある人たちに
車を引かれ、
車を引けないところは
おぶってもらい、

小栗は無事に湯の峯に
たどり着き、
四十九日間つぼ湯に
浸かったところ、
もとの姿に戻りました❗️

照手のもとに行って
助けだし、
父とも再会を果たし、
長く幸せに暮らしたと
いうことです✨



ロードムービー的でもあり

・小栗が髪を結んでいた
 藁を捨てたら
稲が生え、毎年実る
「まかずの稲」

・小栗が湯治の間、
力試しに持ち上げた力石

・木の車を捨てた車塚 

が道中に伝説として
残されています。

小栗が変えられた
「餓鬼阿弥」とは、
当時から忌避されていた
ハンセン病患者との
話もあります。

忌避はされていたものの、
彼らに施しをすると
仏の加護がある、とも云われ。

また、盲目の人たちも
道中の人々の手助けで
無事熊野詣りが
出来たり。

(江戸時代には犬も
伊勢詣りが出来たことも
あったようですし)

伝説を通じても
助け合うということが
自然になされる
文化があったことが
感じられます。