約300年前、江戸時代。

東日本大震災が起きるまで
歴史上最大の地震が
起きました。

時の将軍は5代綱吉公。
忠臣蔵の赤穂事件は  
数年前の出来事。

その日、土佐では
秋の終わりとも思えぬ
暖かさ。
空に一点の曇りもなく
穏やかな一日…

地震が起きたのは、午後
2時頃。

紀伊と土佐の南方を
震源とする大地震。

蝦夷以外のすべての地が
揺れた。

大津波は土佐の海岸に
長門に周防、
摂津に播磨、
九州南東部に
駿河に伊豆半島。

死者は2万人以上
(当時の人口は約3000万人)
流失家屋2万戸、
倒壊家屋6万戸。

とりわけ被害が甚大だったのは
大阪。
死者の8割が大阪市内と
されています。

というのは、津波が
水路を遡上したため。

交通や商売に便利な
水路際には多くの人が
住んでいて、船は転覆し
川沿いの商家は冠水、
町ごと水没した地域も
あったから。

今も懸念されている
南海トラフ地震です。

それでも領主たちは
米を放出し、
民はお互いに助け合おう
…としていたのですが、
天災はこれだけにとどまらなかった
のです。

(つづく)