6月2日。

例年横浜市では開港記念日
として、
小中学校は休み、
みなとみらいでは
イベントが開かれます。

これは旧暦6月2日に
修好通商条約において
函館、新潟、横浜、
神戸、長崎が開港されたからです。

記憶の片隅にあるかも
しれません。

幕末にペリーがやってきて
結んだのは
「日米和親条約」
これは、捕鯨船の

(このころ欧米諸国は
脂をとるためだけに
鯨を捕っていたのです。
鯨に畏敬の念を持って
すべてを使っていた
日本の捕鯨とは全然
違うのです。)

物資の調達のための
開港でした。

日本がいよいよ変わり始めるのは
この5年後。
ハリスと大老井伊直弼
との間で結ばれた

「日米修好通商条約」

いわゆる゛不平等条約゛と
呼ばれ、これを解消するために
日本はこのあと50年以上に
渡って多大な努力をする
ことになるのです。

《不平等其の一》

領事裁判権(治外法権)

日本国内で外国人が罪を
犯しても
日本の法律ではなく
その外国人の領事が
自国の法律で裁くと
いうもの。

公正な裁判が行われる
ことはなく、判決が
甘かったり
被害者への補償は
十分にされませんでした。

《不平等其の二》

関税自主権の放棄

他国の商品を輸入する際に
それにかける関税率を
日本が決められないというもの。

関税というものは、
自国の産業を保護する
ためにかけられます。

例えばコメの関税が
高いのは、他国から
安いコメが大量に入ると
国内の農家に打撃を
与え、自給できなくなる
恐れがあるからです。

この条約はアメリカのみならず
イギリス、フランス、ロシア、
オランダとも結ばれました。

井伊直弼は欧米列強との
戦いを避けるために
やむなく結んだと
されます。
が、このあと尊皇攘夷運動が
盛んになり、
井伊直弼はそれを弾圧し
暗殺され、
激動の幕末に入って
いくのです…