歴史の授業に出てくる
信長の経済政策、 楽市楽座。

商人が自由に商売できる
ようにして、 経済を発展させた 
とありますが、
それだけでは信長にどんな利益が
あったのか、よくわかりません。

そして長篠の戦いで信長が
大量に鉄砲を用意して
武田軍に勝利した 。
その事実だけ抜き出すので
よくわからないのです。

信長はかなりの経済力を
持っていたはずです 。
そのあたりの説明を
見聞きすることが
ほとんどありません。

 信長の資金源は何なのでしょうか。

最近ようやくその辺りのことを
説明する本やサイトが出てきました 。

 そもそも 信長の
祖父や父の代から織田家は
かなり 裕福だったようです。
 信長は とても儲かっている
中小企業の 三代目社長として 
その勢力を 猛烈に広げた人と 
みなして良いようです。

まず織田家の領地、
尾張は 気候もよく
水にも恵まれ多くの米を
収穫することができました。

そのような背景もありますが 
何と言っても織田家の経済力を
大きくしたのは 重要な港を
押さえていたからです。

当時の尾張と伊勢を結ぶ
津島湊という大きな港を
本拠地としていました 。
港では関税を課すのが
普通だったため 
大きな港を押さえると
莫大な収入を得られるのです 。

信長はこの津島から得られる
収入を(現在に換算すると年間60億円とも
言われています)
バックに 京都に上洛、
 朝廷や伊勢神宮にも かなりの額の
寄付をしています。

そして 足利将軍から
畿内6カ国の支配を、
と、言われたものの断り
堺・大津・草津と言った港を
自分の手中に収めました。

 特に堺港は 海外貿易の 
当時最も東に位置する港でした 。

つまり堺を押さえるとそ
れより東の大名には 大切なものが
入手できない状態になります。

それは当時 最大の武器である
鉄砲が使えなくなるという
ことです。

鉄砲そのものは
国産化されていましたが
弾薬の原料として硝石という
ものが必要になります。

 この硝石、信長の死後
国産化されていきますが
それまではほぼ全て輸入でした 。

つまり海外貿易ルートを
持たない大名が鉄砲を持っていても
使うことができない 状態に
なるのです 。

信長より東に位置する大名たちは
既にその時点で不利な立場に
立たされていたのです 。

こういった点については 
今後さらに 議論が深まり 
歴史の観点が変わって
いくのかもしれません。