
びっくりなルーブル美術館アポロンの間
盗難事件。
容疑者が2人捕まったそうですが、
依然真相は闇の中。
盗まれたものの、彼らが落としちゃったのは
ウージェニー皇后の王冠。
アクセサリーも盗まれてます。
やあ、なんか大変そうだけど、
ウージェニーって誰だっけ。
ナポレオン三世の奥様?
ナポレオン三世なんていたんだ、
ルパン三世みたいなもん?
って思っちゃってもやむを得ない。
ということで、
ウージェニー様とルイ・ナポレオン閣下に
ついて。
ウージェニーは1826年生まれの
スペイン貴族の家に生まれたお嬢様。
スペイン貴族といっても
ご家庭はフランス贔屓で
家ではフランス語使用、
ウージェニーと姉はフランスの
修道院や文豪スタンダールに
教育を受け、ほぼほぼフランス人な
状態で育ちます。
次女で活発なウージェニーは
父に深く愛されていましたが、
父が亡くなり、母とは
微妙な関係だったそう。
そんなウージェニーは幼馴染のアルバ侯爵に
ずっと想いを寄せていましたが、
母は姉のマリアを彼のもとに
嫁がせます。
深く傷ついたウージェニーは
男装してタバコを吸いながら
街歩きしたり、
裸馬を乗り回したり、
これまた男装して闘牛場に
現れたり、
思春期と反抗期と失恋とで
5年ほど非行に走っていたようです。
そうするうちに、
もともとは大好きな姉とアルバ公との
仲も良好になり、
父の爵位も継いだウージェニーは
ヨーロッパ社交界の注目の的となります。
高い位に誰もが振り返る美貌、
なおかつ大胆不敵な行動も取れる彼女には
ヨーロッパ中の貴族や王家から
求婚の申し込みがやってきます。
しかし、彼女はどれにも目もくれない。
ある日のこと、
ウージェニーは母とともに
フランスはエリゼ宮で行われた
舞踏会に出ることに。
そこで彼女に一目惚れして
熱烈に求婚を始めたのは、
時のフランス大統領、
ルイ・ナポレオン。
2年もの求婚の末、2人は結婚します。
さて、ルイ・ナポレオンとは。
彼は、かのナポレオン・ボナパルトの
甥にあたります。
父はナポレオンの弟、
母はナポレオンの最初の妻、
ジョゼフィーヌの娘にあたります。
父は兄の威光でオランダ王に
なりますが、
ナポレオンの没落とともに一家も
追われることに。
ルイ・ナポレオンはスイスに亡命しますが、
イタリアの独立運動に関わったり
アメリカへ行ってニューヨーク社交界で
騒がれたり、
そうこうするうちに
復活したブルボン王政が倒れ、
時期が来た、とフランスへ渡ります。
しかしあっさり捕まり、
終身刑に。
5年間、獄中で様々な本を読み、
周到な計画のもと、脱獄に成功。
ロンドンに渡り、見聞を積みます。
しかし一方で多くの女性と関係を持ち、
父母から受け継いだ莫大な財産も
使い果たします。
再びフランスに渡り、
ナポレオンの再来として
国民の人気を得て、
普通選挙で選ばれた初めての大統領と
なります。
ただ、内政は荒れていて、
その中で画策してクーデターを起こし、
「皇帝ナポレオン3世」として
即位し、絶大な権力を手にします。
(ナポレオンには息子がいて、
彼が2世でしたが21歳で逝去)
皇后が必要となり、
そこに現れたのが美しきウージェニー。
ウージェニー側としても、
フランス皇后の座は魅力的だった
のでしょう。
外国人王妃として、
マリー・アントワネットに
親しみと憧れを持っていたウージェニーは
優雅な宮廷文化を復活させます。
スカートを大きく膨らませる
クリノリンと呼ばれるスタイルを
流行らせ、
ジュエリーデザインの才能もあり、
ヨーロッパ中の貴婦人たちが
彼女の真似をし、
モードの女王と呼ばれるように。
美しく、気品あり、装いとジュエリーは
注目のまと。
今でも続くブランド、
ショーメやルイ・ヴィトンが
飛躍したのは、ウージェニー皇后の
おかげです。
会話にも長けていて、
コミュニケーション能力の
高かったウージェニーは
口下手な夫、ルイ・ナポレオンの
政治にも力を持ち始めるのです。
イギリスのヴィクトリア女王は
姪をナポレオン3世に嫁がせようと
していたのにウージェニーが現れ、
ご機嫌ななめ。
ウージェニーは女王の娘そっくりの
人形を贈り、その人形の洋服を
毎年のように届けて、女王はすっかり
ウージェニーを気に入った、との
逸話もあります。
ナポレオン3世の治世。
クリミア戦争に勝利し、
(ナイチンゲールが活躍した戦争、
ロシアの南下を防ぎます)
フランスの植民地を増やして
イギリスと肩を並べる列強となり、
鉄道を敷設し、
フランスの産業革命を完成させ、
万国博覧会を成功させ、
パリの街並みを整えたり。
と、前半は国民にも高い支持を
得るのですが。
後半は、中南米に力を持とうと
メキシコに出兵するも、失敗。
この時、ハプスブルク家の
マクシミリアン
(オーストリア皇帝の弟であり、
皇后エリザベートの従弟にも
あたります。
なお、ウージェニーとエリザベートの
美女2人はとても仲良しだったそう。)
をメキシコ皇帝にするも、処刑されます。
(マクシミリアンにも責任の一端あり、
なかなか興味深いです、この方も。)
中国にアロー戦争仕掛けたり、
インドシナに出兵したり
徐々にきな臭くなってきます。
そんな時、強大になりつつある
プロイセンの鉄血宰相、ビスマルクの
挑発に乗って
普仏戦争を起こします。
もっとも、これはナポレオン3世は
反対だったのに、
ウージェニーたちに押されたという説も。
精鋭のプロイセン軍相手に
なすすべもなく、ナポレオン3世敗北。
戦死かと思いきや、相手方の
捕虜となります。
(ウージェニーは激怒したとも)
捕虜になっても皇帝陛下、
ナポレオン3世は優雅に暮らしますが、
さすがに退位せざるを得ませんでした。
ウージェニーは息子とともに
イギリスへ。
財産はスペインに移しておいたので
生活は大丈夫。
イギリスではヴィクトリア女王を
始め、イギリス貴族や
ウージェニーのあとを追って
避難してきたフランス貴族たちに
囲まれて、
ここでもちょっとしたサロンの女王に。
やがてナポレオン3世も解放されて
イギリスにやってきます。
王党派による復位も画策されましたが、
イギリスにやってきて2年目、
ナポレオン3世は病気で亡くなります。
息子のルイはアフリカのズールー族との
戦争に参加し、そこで23歳の若さで
戦死、ウージェニーは深く悲しみます。
それでも彼女はイギリスで
優雅に暮らし、
1920年、第一次世界大戦が
終わるまで生きるのです。
姉の嫁ぎ先、スペインのアルバ侯爵家を
訪ねている時、94歳でした。
ナポレオン3世にヴィクトリア女王に
エリザベートにビスマルク、なんて
面々を見ると
豪華な中世のような雰囲気ですが、
彼らと関わったウージェニーが
生きたのは、
幕末から明治を経て、大正時代。
祖父母や親の世代と被っていることに
なんだか驚きます。
伝説のウージェニー皇后は
いまもジュエリーデザインを
始めとするブランドの数々や
貴族の宮廷文化の名残に
影響を与え続けているのでしょう。