むかしむかし、携帯電話が無かったころ | わたしの、ものさし

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 わたしの見たこと、聴いたこと、感じたこと、想うこと。


 PCもネットも携帯もなかった私の学生時代。

 今と比べると不便だったが、当時はそもそも存在してないから、不便さは感じなかった。


 彼女に電話するときは、彼女の家の電話にする。
 いまどき、家の固定電話に電話することは少ないが、当時はそれしかない。
当然、彼女の親、特に父親が電話に出ることもあって、いつも緊張しながら電話をかけたものだった。
 「夜分失礼します。〇〇と申します。〇〇さんはいらっしゃいますか?」


 このハードルが、安易な付き合いを許さないフィルターとなっていた。
 だらしない挨拶だと、相手の親に弾かれる。
 ほとんどの親は、自分の子が、いま誰と付き合っているのか、なんとなく分かっていた。
 今は携帯電話があるから、本人同士がダイレクトにいつでもどこでも。
 親は、子が付き合う人を知らないこともあるのではないか。
 見方によっては、不気味で怖い。


 また、私は付き合っていた彼女に、しばしばラブレターを書いた。
 今はメールを送れば、すぐに届くが、当時はそうはいかない。
 当時はメールがなかったので、直接会うか電話か手紙がコミュニケーション手段。(私の学生時代当時でも手紙はマイナーではあったが)
 手紙を書くのはそれなりの時間と労力が要る。直筆で1通書くのに、2、3時間かけてた気がする。
 手紙を出すと、2日くらいで相手の家に届く。相手が手紙を書くにも1、2日はかかるかもしれない。返事が届くのは、手紙を出してから4、5日はかかる。
 その間の待つ時間が、ソワソワ、ドキドキする。


 いま、このような感覚を味わう恋人たちは、どのくらいいるのだろう。


 メールやラインですぐにどこででも繋がるのは便利だが、人の生活リズムにしてみれば、過剰な頻度なのかもしれない。
 SNSは、疲れるだろう。

 だって、技術が進歩しても人の営みのテンポと身体能力はあまり変わらないのだから。


 学生時代のアナログなコミュニケーション、あの頃のスローなリズムも悪くない。
 人は、時間的な余白がある分だけ、ロマンティックになれるのかもしれない。