※守護霊との対話を元にしたフィクションです
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はじめての日月神示 | 中矢伸一 |本 | 通販 | Amazon
日月神示(ひつきしんじ)―このところずっと気になっていたのです。
動画でいろいろ検索して観てみましたが、どうも動画だと頭に入ってきません。
やっぱり僕は本のほうが性に合っています。
原版は難しいでしょうから、まずはとても分かりやすく書かれている入門書を読んでみることにしました。
電子書籍で購入しましたが、肝心の神示の文字が小さすぎてスマホでは読みにくいです。
ダブルタップすると画面を拡大できるのを発見しましたが、毎回それをするのは面倒です。
パソコンの大画面でなら読めました。
読んでみたい方は、紙の書籍で購入されることをお勧めします。
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神棚を拝む話がありました。
「高い心境に入ったら拝む形式はなくてもよい」
「そんな心境に到達することは、聖人でもない限り普通は無理」
僕はこれにとても違和感を感じました。
いや、形式にこだわらなくて良いこと自体はその通りです。
「聖人でもない限り普通は無理」だと思い込んでいるだけなのです。
そんな風に思わなくていいんです。
誰でも出来るんです。
僕は守護霊とのレッスンで、祈りやヒーリングに作法や儀式、呪文などは一切必要ない、思うようにやりたいようにやればそれで良いと教わりました。
大切なのはどういう思いで祈るかであって、どんなに作法がきちんとしていようと中身がなければ何の意味もありません。
読経も同様です。
本来はお経の意味を理解して実践することが重要なのに、一般人にはどうせ意味なんて分かりっこないから、フリガナの通りに読んでいればいい・・・と。
でもそれって、英語の歌を意味も分からずにカタカナで歌っているようなものです。
格好いいけど、何言っているか分からないねーってやつです。
タモリの適当な中国語みたいなものです😂
いや、別にそれはそれでいいんです。
僕も般若心経を唱えていた頃がありましたしね😆
いずれ分かる時が来ます。
「いずれ」じゃなくて、今すぐ分かりたいですか?
そう、だからこうして神理を学んでいるという訳です😊
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「この神は、従う者には穏やかだが、逆らう者には鬼となる」
おっと、これはちょっとどうかな???
「神」と称する存在は、つながるこちら側の意識レベルによって、どんな「神」とつながるのかがまるっきり違いますのでね。
「日月神示」に限らず、何かの教えを絶対視してしまうと、誤った教えでも正しいと思い込んでしまいます。
大切なのは、「神」のお告げを鵜呑みにするのでなく、
自分自身の御魂(みたま)を磨き、お告げが神理に即しているのかどうかを見極めることです。
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「宗教どうしの和合を実現できるのは日本だけ」
これは確かにそうかも知れません。
無宗教だからこそ、神理にもっとも近寄れる可能性があります。
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「自己犠牲は悪の教え」
まさにその通りと思います。
ヒーラーによっては、無償の愛は自己犠牲の上に成り立つと謳っている人もいますが、それは神理ではありません。
分かりやすくいえば、
「目に入れても痛くない」っていう慣用句がありますね。
「可愛い子や孫なら、目に入れても痛くない」と言っても、実際に目に入れたら痛いですよね😭
あくまでも、目に入れても痛くないと思えるほど可愛いという例えであって、
実際に目に入れてしまうと地獄が待っているのです。
そこまで大切に思える存在、大切に思ってくれる存在に対して互いに愛し、感謝し、尊重し合っていくことの大切さを説いているのです。
目に異物が入ると激痛になるのは、視力低下や失明の危険があるからで、
自己犠牲も一時的な範囲に留めるべきであり、慢性的な自己犠牲は悪ということです。
愛は与えるものですから、自分に対して与えられる愛をコントロールすることは出来ません。
だからこそ愛が与えられるというのは物凄く有難いことなのであり、
愛して貰えることを実感できると最高の幸せを感じる訳です。
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思いのほか長くなりそうなので、この辺で分けたいと思います。
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