※守護霊との対話を元にしたフィクションです
最近は、下駄箱ではなく、靴箱と言うんだよ、という話題です。
時代によって言葉が変わっていくことよりも、
僕がこの記事の中で重要なポイントと思うのは、
言うことを聞かせたい時に、つい怒鳴ってしまっていた、という部分です。
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これまで保育園で靴を子供に早くしまってほしいときに「下駄箱!」と言っていたのですが、
なぜか聞こえないときと同じ反応を以前からしていました。
娘から「下駄箱って何?」と言われてしまい私は呆然としました。
帰宅した息子に、恐る恐る「下駄箱って知っている?」と尋ねたところ「知らない」と言われてしまいました。
・・・
まさか下駄箱という言葉を知らないなんて、微塵も思わなかったし、
子どもは意味も分からず怒鳴られて、ただ恐れるばかりということです。
子どもは何も知らないのですから、基礎的なことは大人が教えてあげる必要があります。
怒ってしまうと、親や周りに聞くこと自体に恐怖や恥を感じるようになって、
何も分からないまま常に怯えて生きる人に育ってしまいます。
そうして大人になり、反対に子どもに教える立場になると、
無意識の内に、子どもに対して怒鳴ってしまうのです。
自分が子どもの頃、どうして欲しかったのか、本質をしっかり見つめ直すことです。
何故怒られているのか、理由が分からなかったでしょう。
優しく、これはこうだよ、こうしたらいいよ、と教えて貰えたら、どんどん素直に吸収できるでしょう。
僕も、娘から「○○ってどういう意味?」とか、「なんて読む?」とか、よく聞かれます。
聞かれたことは、分かる範囲で何でも答えるし、
分からなかったらすぐ検索してみれば、今は何でも分かる便利な時代ですしね。
でも辞書を引くと、例えば、
「A」という言葉の意味を調べると、「Bである」
「B」という言葉の意味を調べると、「Aである」
といったことがあります。
言葉というものは、分かっているようでいて、いざ説明しようとすると難しいものです。
実際に、その言葉を使うような場面に遭遇した時に、
「なるほどーこういう時に使うんだな。」
とか、
「こういう感情を○○と言うんだな。」
と、体験と学習がセットになることで、分かっていくのです。
ですから、あらゆる感情や出来事、物事を体験し、
聞いたり感じたり考えたりを積み重ねていくこと、
そして実際に周りの人たちとのコミュニケーションを通じて学んで行くことが大切ですよね。
分からないことをそのまま放置せず、
興味を持って知識を蓄えていくと、それを土台として知恵が備わっていきます。
個性を伸ばすには、まずは基礎的なことをしっかりと身に着けることが大切と思います。
先ほど、「辞書を引く」と書きましたが、
辞書は「引く」ものではないのに、何故引くというのでしょう?
ということで、ちょっと調べてみますと、
網を引く、客を引く、くじを引く、弓を引く、フライパンに油を引く、のこぎりを引く、引き出し・・・などなど、
足し算、引き算の「引く」よりも、引き寄せるというような意味合いの言葉の方が遥かに多いんですね。
普段、無意識に使っている言葉も、何故そう言うのか?と考え出すと、キリがなさそうです😅
何でもかんでも調べていたらキリがありませんが、
何かに興味を持ってワクワク生きる人になりましょう、ということですね。