自己紹介とういか
長めになってしまいますが
自己紹介致します![]()
生まれは、東京台東区浅草橋。
台東区で育ちました![]()
江戸っ子というやつですかね![]()
超貧乏な家庭で育ちました![]()
幼稚園は地元にある幼稚園![]()
小学校
も地元。
中学校
も地元。
しかし、2年生から、いじめにあい不登校になり、卒業まで不登校でした![]()
高校
は、都内にある高校に入りました。
が、入学してから、少し荒れ始めました
笑
いろいろありまして、2年に上がってちょっとして、中退しました![]()
入学して、暫くしてから、16才の時からアルバイトを始めていて、中退をしてからもアルバイトは継続していました。
当時は時給が安かった為、稼いだとしても、自分の小遣い程度にしかならなかったですね![]()
まぁ、十代から社会人の仲間入りをして、高校を辞めた事自体には後悔とかなかったです。
中退した事によって、人生の別れ道があったかも知れませんが。
二十歳を過ぎて、運転免許証を取りました。
『原付』→『普通(今は中型になりましたね)』→『普通自動二輪』と取得しました。
とにかくバイク
が好きで、通勤も、プライベートでも、走り回っていました![]()
24才の時、墨田区で一人暮らしを始めました![]()
この一人暮らしを始めた事によって、転機が訪れる事になります・・・
一人暮らしする前から彼女
と付き合っていたのですが、暮らす前に、その彼女と別れたのです。
ショックでしたね。
急に元気もなくなりました。
仕事にも活気がなくなってしまいました💧
暫くして、その別れた彼女から連絡が来たのです![]()
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「今どうしているの
彼女出来た
」みたいな感じで。
突然の連絡に驚きましたが、その時はまだ忘れられなかったというか、未練があったのも正直で嬉しかった気持ちでもありました。
普通に、「今は一人で暮らしているよ、今は彼女いないよ」みたいに返しました。
そしたら、「会いたい」と。
またそこでビックリ
しました。
動揺はしましたが、本当に大好きだった彼女だったので、心臓バクバクしながらも嬉しかったです。
「近くまで来れば、バイクで迎えに行くよ」と言って、彼女はタクシーに乗って近くまで来ました。そこから、彼女をバイクの後ろに乗せ、自宅へと行きました。
自宅に着いて、色々話して、突然・・・
「結婚しよ」発言。
またまたビックリ![]()
しました。
でも、大好きだった彼女、「うん」とおもわず即答しました。
彼女は泣いていました。
心の中で、「結婚出来る」。
もう、「結婚しよ」のその言葉が嬉しくて嬉しくてしょうがなかったです。
また、やり直す事になりました。
その日から急に元気になりました![]()
仕事も一段と頑張ろうって気持ちにもなり、心にも余裕が出来ました。
それから彼女は何度か家に来る様になり、付き合いは楽しく順調でした。
しかし・・・
そう、うまくもいきませんでした。
ある事が切っ掛けでまた別れました。
それが本当の意味での別れでした。
またまたショックで、呆然とするしかなかったです・・・
そして、別れたその日、喪失感から悲しみ、自暴自棄になりました。
もう、どうなってもいい・・・
頭の中は混乱した状態。
その日の夜に取った行動は、睡眠薬を大量に服用し、お酒をがぶがぶ飲み、意識朦朧の中、自傷行為、両腕にタバコで30か所、根性焼きをつけました。
泣きじゃくりながら。
その状態で、なぜか取った行動は、泣きながら親に電話を掛けました。
異常事態に気づいた親は、直ぐに自宅に駆けつけてくれました。
その夜、心配になった父親は、一晩傍にいてくれました。
次の日、両親と共に、大学病院
の精神科に受診しました。
結果、入院が必要との事で、紹介状を書いて頂き、都内の精神科病棟に入院する事になりました。
約、一か月半、入院しました。
入院する前は不安でしたが、入ってみたら、同じ入院患者様達が、明るい人ばかりで、自分も人見知りしない性格もあってか、うまくコミュニケーションが取れて、なぜか不思議と入院生活が楽しかったです。
当時の診断名は、自律神経失調症、うつ病でした。
一か月半の入院を終え退院しました。
退院する際、これもなぜだか不思議と寂しかったです。
普通、退院とは「おめでとう」という形なんでしょうが、凄い楽しい入院生活だったせいか、その気持ちが強かったんだと思います。
退院後、精神科外来通院が始まり、何週間か自宅療養生活を送っておりました。
2週間程して仕事に戻る事になりました。
今まで生きてきて、私が唯一誇れる事は、『人に恵まれてきた』事です。
社会では、どこにいったって、必ず一人や二人嫌な人はいる。
そう言われてきました。
自分はただ単に運が良かったのかも知れませんが、今まで色々な人たちと出会ってきましたが、本当に人には恵まれてきました。
良い先輩や後輩も、いまでも宝物です。
仕事に戻って、みんな明るく出迎えてくて、心配してくれて、その時は本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
本当だったら、自らおかした行為で仕事に迷惑を掛けてしまったんだから、当然クビだろうと思っていましたから。
その会社で、今でも恩人だと思っていて、たぶん、その人の存在がなかったら、今の自分は存在しなかっただろうと思うぐらい、私にとっては尊敬出来る人でした。
仕事に戻り、生活自体も通常に戻りました。
もともと仕事も、仲間も大好きだった私は、それが生き甲斐でもありました。
そんな生活を送る事一か月過ぎたぐらいでした。
知り合った切っ掛けもあり、女性と付き合う事になりました。
要は、彼女が出来たのです。
知り合った・・・
それは、実は入院中に仲良くなった女性で
、お互い意気投合して、連絡先も交換して、退院後も連絡も取りあい、家にも遊びに来る様になり、そして付き合う様になったという流れだったんです。
彼女の実家は、ある県にあり、わざわざ東京まで来てくれていました。
デートするにも、こっちですし、両親も心配するだろうから、泊まっても一泊とかでした。
そして、話し合いを進めていくうちに、私から、「同棲しよう」と切り出し、一緒に住む事になりました。
やはり、こっちまで来るのも、交通費やら、時間もかかるし、大変だろうと思って。
それには、彼女のご両親にもちゃんとしっかりと承諾を頂かないとダメなので、相談しました。
でも、彼女のご両親は、薄々感づいていたそうです。
度々、私に会いに行く娘の姿を見ていたご両親は、何れ一緒に暮らすんじゃないかと。
やっぱり親は、自分の子供だけあって、子供の心境には鋭いんでしょうね。
それは、全てが全てではないですが、どこの家庭でも同じ様なものだとは思いますが・・・
私は彼女の実家に行き、ご挨拶して、これからよろしくお願い致しますと。
彼女のご両親はとてもいいご両親でした。
そして、同棲生活がスタートしました。
暫くは、彼女も療養中だった身でしたので、私の家で療養生活を送っておりました。
私はいつも通り、朝7時頃には出勤し、仕事が終わって、帰って来るのはだいたい夜の9時過ぎか、残業があった場合は、10時過ぎぐらいでした。
帰宅すると、決まって、「お疲れ様」って言ってくれて嬉しかったし、仕事の疲れや、ストレス抱えたりありましたが、心に余裕があった分、同棲生活も仕事も順調でした。
彼女自身も、実家に戻る以前に、都内で一人暮らしをしながら働いていたので、その時一緒に働いていた方にお願いして、その職場でまた働かせてもらう事になりました。
でも、一緒に暮らしている訳ですから、そんな毎日毎日が順調だった訳ではありませんでした。
二人だからこそ、喧嘩もありましたし、口論もありました。
でも、お互い冷静になって、お互い「ごめんね」みたいな感じで収まっていたんですけど。
一緒に生活しているからこそ、お互い気を使ったり、ある程度距離を置いてみたり、そっとしてしておいてあげたり、それが難しい問題なんですよね。
そんな同棲生活を送っていく中で、ある時、私は彼女を傷つける(暴力ではないです)行動を取ってしました。
彼女は激怒して、「別れる」と、実家に帰る準備をして出て行こうとしたので、私は、必死で彼女に謝る事しか出来なったです。出て行こうとしている彼女を必死で止めて。
彼女は少し落ち着いたのか、それからお互い沈黙状態が続き、やがて彼女は無言で先に寝てしまいました。
私は、眠りについた彼女を見て、とりあえずホッとしたというか、でも相当な激怒だっとので、この先どうなるんどろうと不安な気持ちでいっぱいでした。
次の日の朝、いつも通り仕事に行く準備をしていると、その間、彼女はずっと無言でした。
いつもなら、「行ってくるね」というと「行ってらっしゃ」と言ってくれるのですが、昨日の今日、まだ怒りは収まっていないんだろうなぁと思っていました。
なんだか自分も気分が沈んでいて、その日は仕事にも集中力が欠けていました。
でも、自分が悪いので、ずっと反省の気持ちでいっぱいでした。
その日は仕事は9時で終わり、いつもより早く帰れる事になり、帰ったらまた彼女に謝ろうって思って、帰りました。
たぶん、まだ怒っているだろうから、落ち着いたら謝ろうと思って、静かに玄関を開け、部屋に入ったら、彼女は布団の上で座っていました。
その時、直ぐに彼女の異変に気づきました。
何か様子がおかしい。
ずっと視線は同じ方向で呆然として座っている。
そして、私の方に振り向き、私の名前を言って「大好きだよ」と言って、フラフラしながら倒れる様に眠りだしました。
その時点で、嫌な予感はしました。
いや、前に話した事があるので。
「もしや!?」思い、ごみ箱を見ました。
予感は的中しました。
ごみ箱の中に、大量の薬の空。
やってしまったかと、ビックリ、焦りました。
どう対処したらいいんだろう?
いくら名前を叫んで身体を揺すっても眠っている彼女は起きない。
もう、頭の中パニックで、どうしたらいいんどろう・・・、どうしたらいいんだろう・・・
そればっかり。
自分も経験はしているが、初めて自分以外の人間がオーバードーズをした状態を目の当たりにしたのは初めってだったし、それが彼女でもあったし。
パニック状態で混乱しました。
そして、119番しか思いつかなかったです。
救急車を呼び、同じ区内の病院に運ばれました。
私は、真っ先に、彼女のご両親に連絡しないとと思い、彼女の携帯を手にし、彼女のお母様に電話しました。
状況を説明し、彼女のご両親は車で病院まで直ぐに行くと。
私も会社に事情を説明し、休みを貰いました。
病院に着き、彼女はICUに入りました。
3時間ぐらい経過してからだったと思います、彼女のご両親が病院に着きました。
私は、ご両親の目の前で、真っ先にどけ座して、「僕のせいです」、「ちゃんと見てあげられなかったせいです」と、ひたすら謝りました。
当然、怒られると思いました。
しかし、ご両親は冷静に、「いつかこうなる事は解っていた」と。
後で聞いたのですが、実家にいた頃も、病院に運ばれるまではいかなかったものの、薬を多めに飲んでしまうといった事が度々あったそうです。
私はご両親と一緒にICUに面会に入りました。
彼女は依然と眠ったままで、先生からは、「相当な睡眠薬を飲んだみたいですね」と告げられ、3日間はICUで治療して、それからは一般病棟に移しましょうというお話しでした。
後は、毎日僕が病院に通いますとご両親にお話しし、ご両親からは、よろしくお願いしますと言われ、その日はご両親は帰られました。
次の日から、私は仕事に戻りました。
社長は、精神的な病に理解があった人で、「大変だったね」と声を掛けてくれたのですが、「いや、僕が悪いんで」と。
もう、心の中では罪悪感しかなかったので。
とにかく、仕事は仕事なので、しっかりしようと、でも、仕事中、彼女の事が心配で心配で仕方がなかったです。
当時の会社は、お弁当製造宅配業だったので、朝からお弁当作り、昼間に、バイク、車に乗って配達、午後になったら営業と、私は、調理補助も製造も配達も兼ねていたので、午後は休憩時間が長かった仕事でした。
決まった日には、少しだけの休憩で遠くまでの配達もありましたが。
それから、休憩時間を使っては、彼女の面会に行きました。
まだICUに入っていたのですが、次の日には、彼女は目覚めていて、意識もはっきりしている状態でした。
改めて、彼女に、「ごめんね」と謝りました。
彼女は気にしないでみたいな素振りで許してくれました。
逆に、ごめんね・・・と。
恩人でもある上司は、気を使ってくれて、配達中でも時間が余っていたら、彼女のお見舞い行ってあげなと優しく言ってくれて、
配達中にも、時間に隙間があったら、その時間を利用して数十分程度の時間しかありませんでしたが、面会にも行きました。
そして、やっと彼女は一般病棟に移り、一週間程度の入院で退院出来る事になったのです。
退院前日まで、私は毎日面会に行っていました。
やはり、顔を見せてあげるのが、一番安心するんじゃないかなぁと思い。
そして、退院当日、彼女のお母さまもお見えになりました。
その時、たぶん、実家に戻るか、そんな話しをしていた様な記憶があります。
でも、彼女の選択は、家に残るでした。
私はてっきり、彼女からも、お母さまからも、別れ話しが出て、実家に戻るんではないかと予想していたので、彼女がうちに残ると言ってくれて嬉しかった半面、申し訳なかったです。
そして、また同棲生活が始まりました。
私も、もう絶対に彼女を悲しませたくないと心に決めて、彼女に対する想い入れがより一層深まりました。
彼女も次第と元気になり、普段の明るさを取り戻しました。
私も、また仕事の方も順調になり、安定を取り戻す事が出来ました。
彼女も仕事復帰し、普段通りの生活に戻りました。
