自分の命より大切で可愛い我が子との別れを経て以降、

私の「実社会」での活躍は凄まじかった。

 

色んな意味で「パワーアップ」していった。

もう恥も外聞もない。

 

不動産会社では結果を出すまでに四か月、要した。

 

・・・が、

 

それ以降はグロスの高いマンションを次々と販売し、

かなりの収入を得られるようになった。

 

同時に会社側からも久しぶりの「大物新人」として信頼を得られるようになった。

 

ただ、こうなって気づいたのは、

実家に残してきた

子供たちが人質になった、というこだ。

 

毎月、面倒をみている両親には生活費を送っているのに、

それ以外にも、両親から

猛烈な金の無心を受けることになったのだ。

 

さらには、ほぼ毎日のように、

泣きながら父から、家業の当座資金調達の懇願電話がくるようになった。

 

父は息子たちを預かっているのをいいことに、「泣き落とし」を覚えたのだ。

稼いでも稼いでも、貯金もできなければ、自分の食費すらままならない日々。

 

もう、”負の連鎖”、「地獄」の毎日となったのだ。

 

 

予想外だったのは、入社一か月もしないとき、突如として激しい腹痛のに襲われた。

一旦、出社してからすぐ、会社最寄りの大きな区立病院に駆け込んだところ、

診断結果は

 

右卵巣破裂寸前

 

だった。

 

通常、2㎝にも満たない卵巣が8㎝まで腫れていたのだ。

一刻の猶予も許されぬまま、緊急入院の手続きへ。

これも複数の男性関係が起因らしい。

 

わたしは、このことを家族に伏せた。

幼子を預けている上、これ以上、息子たちの世話をしている母や姉妹に

心配をかけたくなかった。

「研修でしばらく電波の届かない所に行くから」と、ウソをつき、

携帯の電源を切った。

 

よって、手術に必要な同意書は、上司にお願いをしてサインをもらい、

即刻、緊急オペへ。

目覚めた時には、私の右側の卵巣は、全摘されていた。

所持金ゼロで入院をした。

 

目覚めた時、彼がいた。

そう、この「彼」こそが離婚の”引き金”になった人だ。

決して「原因」ではない。

 

婚姻中、息抜きと小遣い稼ぎがてら…という理由で、

わたしは週一日、六本木のとある、クラブでバイトをしていたのだ。

そこで知り合った。

 

確か、初日に声をかけられ、気にいられたと記憶している。

 

彼は、某大手の会社員だった。

(今はもう定年しているか、それなりの役職にいるだろう)

 

彼はわたしより7才年上で、とても頭の良い聡明な人だった。

ボキャブラリーもあり、部下からも信頼をされ、若くして将来を有望視されていた。

私はそんな彼に一気に惹かれた。元旦那とは大違いだった。

 

お互い、家庭があることを打ち明けていたが、二人の想いは止まらなかった。

そう、

自分の父を「不倫オヤジ」と軽蔑しながらも、

私自身も「不倫街道まっしぐら」

への第一歩を、まるで遺伝したかのように歩んでいたのだ。

 

元旦那の「稚拙さ」を目の当たりにすればするほど、彼に傾倒していった。

「彼が夫だったら…」何度も考えた。

 

独り暮らしは初めてで、子供がいない悲壮感は強かったが、

彼との逢瀬が自由になったのは唯一の救いだった。

 

目覚めた時、腹部に激痛を感じながら、まだ意識が遠い視線の先に彼の姿があった。

ホッとした。

医学に精通している彼は、わたしに代わりに医師より現状説明を受け、

簡潔に話してくれた。そして私はまた意識を失った。

まだ麻酔が切れてなかったのだ。

 

入院中、社長が秘書を伴い、見舞いに来てくれた。

新人の見舞いなど、異例だったと後から、別の社員に聞いた。

 

「何が欲しいか」と聞かれ、私は躊躇なく「テレフォンカード」を要求した。

そう、入院中も公衆電話から「アポ電」を入れるためだ。

 

それを察した社長から二万円分のテレカをもらった。

同時に、「お見舞金」をもってきてくれそうな人を探し電話をかけ、

なんとか病院の支払いを済ませられた。

 

私って、凄い。

父の家業の元で鍛えられた資金調達のすべが生きた。

 

都内のワンルームマンションに一人、帰宅した私に、昔からの友人が小さな備え付け冷蔵庫一杯に、飲み物やヨーグルトなど買ってきてくれた上、

身の回りの世話をしてくれた。

 

本当に有難かった。

 

わたしは、彼女の帰宅も見届けられないまま、また意識を失った。

 

病院からは「半年間の静養」を促された。

でも現実は、退院後、一週間で復帰した。

正直、辛かった。通勤もつらく、一日が長く、体もついていかない。

 

営業に外出するのも一苦労だった。

時々、会社の応接室で休ませてもらうことも多々あった。

そうやって、弱音も吐かず頑張って「稼いで」きたのだ。

 

仕事は、営業のコツも掴み、順調に結果を出せていたが、

心をのバランスは崩壊の一途をたどっていた。

 

同時にどこか、影を含むわたしは何故か大いにモテた。

体形もスレンダーで維持いており、

まだ若く、一般的より多少、上のツラガマえのわたしに、オトコたちは寄って来た。

 

本命の彼がいるにも関わらず、いつもお金に困っている私は、

「お財布役」になってくれる人を選抜しては、体の関係を持ち、

好意もないまま「股を開くオンナ」となって得たお金を、

実家に送り続けたいたのだ。

 

卵巣は片方なくても、もう一つがあれば大丈夫だ、と医師は話していたが、

現実はウソだ。

卵巣はホルモン製造工場。

やはり、ひとつでは負荷がかかっているようだ。

 

精神状態も悪くなる一方で、とうとう、心のバランスを崩し、

子供と離れた寂しさや孤独感から逃れられぬようになり、

自傷行為が始まったのだ。

 

そう、リストカットだ。

 

いつしか、私の左手首には無数の刃物によるキズが増えていった。

 

元々、父の借金のカタに、高利貸のオジサマたちに売られていた経緯もあり、

もうここまできたら、どうにでもなれ、といった自暴自棄行為だったと思う。

 

こうして、独り暮らしの間のわたしは、同時に11人のオトコと

「付き合ってるフリ」をして、体も心もボロボロ状態となり、

とされていく。

 

何が自分の「本音」なのか、「愛情」なのか、わからなくなっていく。

多額の現金や振り込みをして、いそいそとわたしの部屋にやってくる男たち。

本気で好かれている、と勘違いしている。

 

偽りの笑顔を作りながら出迎えはするが、

ベッドに横たわる時には震えが止まらなくなる。

時には吐き気すら覚えた。

 

こうして、わたしの「人を愛する」という感情は欠如し、

 

 

 

不特定多数との交際により、癌の宣告をされることになる。。。

 

 

 

 

 

 

つづく…

■■わりと大切なお知らせ■■

 

虐待/貧困/父不倫/中卒/早婚/性病/離婚/倒産/癌宣告/精神疾患/起業/愛人生活…

などなどなど・・・(過去記事一覧よりご覧頂ける通り)

 

ノンフィクションな私の

 

 

おか

ブログで表現していた所

 

以下の様なコメント/メッセージを

【複数】頂きました

 

 

 

 

 

 

    

「いいね」押していいん?

(訳 : 深刻な内容だから、不謹慎じゃね?)

*「原文ママではありません。

皆様、ご丁寧なご連絡を頂いております

 

 

 

 

 

 

お答えします

 

 いいね を押しやがって下さい

(著者のモチベが1上がりますアップ)

 

 

私の経験が、誰かの人生の一助になれば 

ブログを始めるキッカケでしたが

 

今では

「いいね」は投稿のモチベーション

になっています

(・べ・・別に、強要はしていま・・すぇん

 

 

 

 

 

この物語は、私の人生を淡々と描いているものです。過度な期待はしないで下さい

PVアクセスランキング にほんブログ村